5月、株式会社誕生
「先人たちの努力によって58年間続いた農業協同組合の伝統。この背骨をしっかり守り、新しい発想でウイング(翼)を広げていきたい」
今年5月、碓氷製糸(安中市松井田町)は組合製糸から会社組織の営業製糸へと改変。碓氷製糸株式会社の初代社長に就任した元食糧庁長官の高木賢さん(73)―高崎市出身―は製糸・絹産業発展への思いをこう語った。
着物は民族衣装でありながら日本の生糸で作られた純国産品の織物はわずか2%。ネクタイなどの絹製品全体では1%弱で、大半は外国産だ。そこには、かつて生糸の世界市場の8割を独占していた“絹の国”の面影は無い。
しかし近年の世界遺産効果で、再び生糸が注目されている。県産や国産の需要が高まり、県内では繭を増産する養蚕農家や蚕糸業に新規参入する動きもある。
碓氷製糸は生糸生産の約6割を占める国内最大手。現在も片倉当時の富岡製糸場と同じ型の繰糸機が稼働している。1959年に発足し、碓氷製糸農業協同組合の組合員数は多い時でおよそ3千人。しかし養蚕農家の高齢化などで昨年は23人まで減少。製糸業の存続と発展、蚕糸業復活をかけて株式会社化に踏み切った。
養蚕農家とJA碓氷安中が出資して資本金520万円でスタートした後、今月20日の臨時株主総会で増資の承認が得られた。県と安中市、富岡市が各400万円を出資するなど資本金は2500万円になる見込み。
蚕糸業の衰退に伴い、ピーク時は全国に1800社を超えていた製糸場も現在は4社のみ。碓氷製糸と同じ輸出用の生糸を生産していた旧器械製糸工場は山形県に1社で、国内需要向けの旧国用製糸工場は長野県に2社。いずれも営業製糸だ。
株式会社になった碓氷製糸は、今後より柔軟で多角的な経営を目指す。「開放度を広く、知恵を集めて世間に認められるものを作る。外国糸との差別化は、良質な生糸を作ることに尽きる。また、新製品へのチャレンジとして介護・福祉に役立つものなどを今後具体化していきたい」と高木社長。富岡製糸場など世界遺産への協力も惜しまないという。
製糸業は、養蚕農家から繭を購入して生糸を生産し、それを生糸取引業者などへ販売する蚕糸・絹業のほぼ中央に位置する。
「扇の要にいるわけだから、まさに中心となってチーム力を発揮していかねばならない」