<還暦ドライブ>―横山秀夫の世界遺産。

百万リットルの天然冷蔵庫。この奇想には、さしもの自然も度胆を抜かれたろう。

荒船風穴――自然の摂理

荒船風穴縦断図(右から1号、2号、3号) 画像提供/下仁田町教育委員会

長野県境近くの標高約840メートルの山中。鳥の声がこだまする。横山秀夫は荒船風穴の見学路に立ち、中世の山城遺跡と見紛うような石積みを眺めた。表示板が伝える2号風穴内の温度は「0.4℃」。風穴からの冷気を肌に感じる。1号風穴の端まで上り、風穴の沢を見上げると、冷風を生んでいる崩落岩の群れが急傾斜地に堆積している。苔むした岩、茂った緑。果ては見えない。「神か、それに近いものを感じる」。辺りの地形が形成されたのは地質時代。日本の養蚕業発展の礎となった荒船風穴は、太古からの自然の摂理に支えられている。

荷は、煉瓦の総量より重い。のこし守ると決めた、その勇気こそが世界遺産である。

富岡製糸場――地下室の謎の穴

ブリュナ館の南側立面図

煉瓦造りの3つの部屋がL字型に連なる。ブリュナ館の地下室は、肉やワインなどの食料貯蔵庫として使われたらしい。横山秀夫は堅牢な空間を確かめつつ進んだ。

ブリュナ館地下室平面図

最後の部屋に入ると、天井に組み石で囲われた数十センチ角の穴が見えた。食料貯蔵庫にしては不可解な穴。ブリュナ館の床下に通じる。何の目的で作られたか。推測されているのは、ポール・ブリュナが危害を加えられそうになった場合の避難口としての役割である。

とすれば―。ミステリー作家の関心は、ブリュナの心の内に向く。「恐れは、他のどの感情よりその人を語るからね」。当時のブリュナの心境を伝える記録はない。が、富岡製糸場が操業を始めた年の秋のある夜、ブリュナは吉井町を馬車で移動中に投石されたことがあった。

極東の未知の国での災い。地下室の穴は、お雇い外国人ブリュナの恐れや不安を今に伝える遺産かもしれない。

第一室 天井アーチの煉瓦は改修による。当初は木製根太天井だった
第二室 当初の天井がそのまま残るが、木部はほぼ腐朽している
第三室 他の部屋より小さい。丈夫に穴が開いている

※ブリュナ館は通常内部を公開していません

ブリュナ館の南側立面図は富岡市教育委員会提供
地下室平面図は『旧富岡製糸場建造物群調査報告書』より部分転載

桑の木は蚕の夢を見る。百花繚乱の時代が過ぎ去っても、新たな探究心を抱けとばかり今年も若葉を茂らせる。

高山社跡――職住一体の暮らし

高山社跡 主屋兼蚕室立面図

蚕と共に生きることが求められる養蚕。飼育の最盛期には、普段の生活の場も蚕室に変わる。桑の収穫、桑付け、温度や湿度の管理、風通しへの配慮など、自然と蚕を相手に早朝から深夜まで気が抜けない。同じ屋根の下、蚕も人間も生きる。

横山秀夫は、全国に普及した養蚕技術「清温育」を開発した高山社跡を訪ねた。修復工事中の長屋門をくぐると、換気用の3つの越屋根のある主屋兼蚕室の前に出た。屋敷内には焚屋(台所、風呂場)、井戸、外便所、以前あった蚕室の基礎、桑貯蔵庫跡などが残る。

明治から昭和初期にかけて、ここは養蚕を学ぶ生徒の共同生活の場だった。自然のサイクルの中で、仕事をすることと住まうことが一つになっていた。

上空からの高山社跡。周囲の自然と調和する屋敷。主屋兼蚕室の右手にはかつてあった東蚕室の基礎が残る
藤岡市教育委員会提供
高山社跡の前を流れる三名川はヤマメもすむ清流。竹林(左)の付近はかつて桑畑だった
桑の木のドドメを食べてみた。「まだ若い。初夏の味がした」
主屋兼蚕室2階の蚕棚と火炉。部屋ごとに温度と湿度を調整できる構造

高山社跡主屋兼蚕室立面図は藤岡市教育委員会提供

還暦ドライブを終えて

暑かった! 信号待ちの車内温度は45℃に達し、「還暦ドライブ」ならぬ「棺桶ドライブ」に。翌日は私も車も寝込みました(笑) で、本題。「権威づけされたものは必ず硬直化する」。あえて意地悪なバイアスをかけて臨んだ取材でしたが、行く先々で出会った方々が「硬直化した私」を丁寧に揉みほぐしてくれました。楽しかったな。また伺いますね。今回は古巣・上毛新聞とタッグを組んでの仕事でした。取材中、何をどう伝えるかを考えていたのは記者時代と同じ。ただ、作家になって「何を伝えるべき」「どう伝えるべき」の「べき」からは解放されたんですね。「見るべき」「知るべき」「学ぶべき」は世界遺産の宿命でしょうか? 「見たい」「知りたい」「学びたい」。そんな素朴なアプローチから、みんなで知恵を出し合った特集号です。

横山秀夫

田島弥平旧宅――夢を広げる場所

田島弥平旧宅立面図

空から見た養蚕農家群のある境島村地区(中央が田島弥平旧宅)群馬県提供
南側から見た田島弥平旧宅。表門の右は別荘、左側は桑場。住居兼蚕室はこの奥にある

取材・撮影協力/
秋池武氏(下仁田町歴史館館長)、 今井幹夫氏(富岡製糸場総合センター所長)、 下仁田町教育委員会、富岡市、 藤岡市教育委員会、伊勢崎市教育委員会、伊勢崎市

第1回直輸出行程図は『島村蚕種業者の洋行日記』(境町史資料集・第四集)より転載
田島弥平旧宅立面図は伊勢崎市教育委員会提供

富岡製糸場と絹産業遺産群

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は25日に世界文化遺産登録3周年を迎える。構成資産のある4市町では、世界遺産としてのさらなる魅力を向上させるため、新施設の整備や公開場所の拡充など、入場者増に向けて受け入れ態勢を強化している。また富岡製糸場の価値を後世に伝えるため、女性たちの功績や友情を描いた映画を製作し、国内外への情報発信にも力を注ぐ。4資産の現状や来場者を増やすための具体的な施策とともに、世界遺産を支える人たちを紹介する。

荒船風穴

史跡の記憶 次代へ

夏の外気温と湿度が高い状態の時、風穴から吹き出す多湿な冷風と外気との接触面に白雲が見られる=下仁田町教育委員会提供

遺構の本質 生かし整備

深緑の森が眼下に広がり、涼やかな風が谷を吹き渡る荒船風穴(下仁田町南野牧)。2011年からの調査研究で全体構造が把握できたことから、遺構の本質を生かした史跡保護と、来場者増へ向けた整備が行われている。来年度には風穴と同じ冷風を体感できる施設が完成する予定だ。

6年間に及ぶ調査研究の成果を生かし、保存と活用の両面で整備を進める。

風穴近くの見学者広場は車いすでも移動しやすいよう、一部をアスファルト舗装でバリアフリー化し、現在あるあずまや付近にトイレを新設、来場者が快適に過ごせるよう整備する。あずまや付近にある簡易の冷風体験施設の場所に木造の建屋を造り、蚕種の貯蔵に使用した冷風をそのまま感じられるようにする。風穴の見学路の外側に散策路も計画している。

整備イメージの鳥瞰図。整備が完了すれば来場者が史跡を散策しながら風穴の魅力に迫ることができる

地域の力で 保存と継承

風穴のガイダンス施設でもある同町歴史館の秋池武館長(73)は「来場者が風穴の本質的な価値を見て体感できるようになるだろう」と期待する。

世界遺産登録後、地元の有志でつくった「荒船風穴友の会」(小井土文雄会長)は、地道な活動を続けている。4月下旬には繁殖力が強く、要注意外来生物に指定されているハルジオンとセイヨウタンポポを駆除した。7月にはヒメジョオンを駆除する予定で、史跡場内の環境保全に取り組む。

風穴は四季それぞれに表情を変える。夏のように外気の温度と湿度が高い状態の時、風穴から吹き出す多湿な冷風と外気との接触面に幻想的な白雲が見られるという。春は草花や新緑、秋は紅葉と四季の彩りを添え来場者を迎える。

秋池館長は「絹産業衰退後も役割を終えた風穴を残してくれた人たちに感謝し、四季折々の自然環境を織り込みながら冷風体験をメインにした空間全体の整備に取り組み、今できることを形にして後世に伝えていきたい」と話している。

富岡製糸場

発展の“原動力”今に

スタッフの支えで滑らかに動くブリュナエンジンの復元機。現代の機械とは異なる機能美で来場者を魅了する

富岡製糸場(富岡市富岡)では、公開範囲を順次広げて展示物を充実することで、来場者に施設の新たな魅力を紹介してきた。昨年末から製糸器械を動かす動力源として創業時に活躍したブリュナエンジンの復元機を動態展示している。

エンジンは設立指導者のポール・ブリュナが導入した横型単気筒蒸気機関。復元機は2012年に富岡商工会議所工業部会が製作を開始。愛知県犬山市の博物館明治村にある実機を参考に図面を製作して、15年に完成した。

復元機は製糸場中庭に設置された展示施設の中で毎週末、稼働している。外気との温度差によってエンジン内部に生じる水を抜くなど、制御や保守に人の手は欠かせない。自動車部品の元エンジニアで、復元機の設計、製作に携わった大嶋新二さん(68)らスタッフが管理。来場者の質問にも答えている。

「今では使われることが少なくなった蒸気機関。私自身も勉強になった」と話す大嶋さん。絹産業発展の“原動力”となった力強い姿を守り、来場者を楽しませている。

田島弥平旧宅

賓客迎える上段の間

公開された「上段の間」で伊勢崎市教委の担当者から部屋の歴史や洪水対策の工夫について説明を聞く見学者(今年3月)

田島弥平旧宅(伊勢崎市境島村)は個人住宅のため、庭と外観、桑場の養蚕具などを見学するだけだったが、イベント以外では非公開だった主屋1階の「上段の間」を4月から、毎月第3日曜(9時から16時まで)に公開している。見学時には、同市教委文化財保護課の職員が解説する。

上段の間は賓客を迎える格式の高い応接室として使われた、床の間のある十畳の座敷。一見、漆喰[しっくい]のように見える西壁は襖[ふすま]仕立てで、利根川の洪水に備えて着脱ができる造りになっており、建物自体の損壊や流出を防ぐ工夫がされている。6月まで3回の公開で525人が上段の間を見学した。

弥平が優良な蚕種を生産する養蚕技法「清涼育[せいりょういく]」を完成させるため、研究の末に考案した換気用櫓[やぐら]のある近代的で大型の養蚕建物が、旧宅の周囲に残る。田島善一さん宅(進成館)も、上段の間公開に合わせて旧宅では見られない2階の蚕室や総櫓の内部を公開する。時間は10時から16時まで。ともに入場無料。

高山社跡

分教場時代の姿 復元

修復が進む高山社跡の長屋門。古来からの技法を使って新しい木材を継いだり、基礎石の形に合わせて木を削った様子がわかる

高山社跡(藤岡市高山)は長屋門の修復が2015年度から始まった。藤岡市教委の調査の結果、姿の変遷が垣間見られるようになってきた。

屋根瓦の下から江戸時代に一般的だった栗板葺[ぶ]きの屋根が現れた。瓦は明治に入ってから葺かれたとみられる。門柱に貼ってあった祈祷[きとう]札を調べると、建築年が従来考えられていたより180年古く、江戸前期(1680年代)までさかのぼれることも判明した。

長屋門西側の柱には「高山分教場一号室」と墨書きされており、所在不明だった「1号蚕室」があった可能性も指摘されている。

修復工事は今後、屋根瓦を葺き直し、その後に壁を塗り直す予定。完成は18年度中の見込み。高山社跡が分教場だった時代(1887~1927年)の姿に戻す計画だ。市教委は、長屋門の中に展示室を設け、修復の資料などを紹介していく。

修復工事は無料で見学できる。古来からの技法を使い、元の木材を生かして新しい木材を継いだり、基礎石の形に合わせて木を削って据え付けた様子が分かる。


観光客と市民の交流促進

富岡市
岩井賢太郎市長

富岡製糸場が、世界文化遺産登録となってから4年目を迎えますが、昨年度も80万人のお客さまを受け入れることができました。そのような中、現在、製糸場内においては、複数の建物で、世界遺産としての価値を次世代に引き継ぐための保存整備工事を行っています。

大規模なものは、2014(平成26)年度から行っている国宝西置繭所の保存整備工事であり、完成は2019(同31)年度を予定しています。そのほか場内では、繭を乾燥させる乾燥場や、社員が生活していた社宅の保存整備工事も進められており、いずれも完成後は、公開活用を予定しています。

これからも引き続き、製糸場の持つ、文化遺産・国宝としての価値を高め、魅力を発信していきたいと思っています。また、市役所前にある倉庫群内に、県が「世界遺産センター」の設置を決定しました。併せて、新庁舎の完成も間近となっています。

市では、この倉庫群と新庁舎前広場を一体的に整備し、「観光客と市民とが交流できる空間」として使用できるよう計画しております。

日本近代産業の礎として富岡製糸場が建設された当時、明治日本は、大きな変革期にありました。そして、現在、本市は、まちの魅力をさらに磨き上げ、潜在的な魅力を引き出し、誇れるまちを未来に継承するため、大きく生まれ変わろうとしています。「世界遺産のあるまち」から「世界遺産にふさわしいまち」へ、さらに進化する富岡市へぜひ、お越しください。お待ちしております。

境島小を案内所に活用

伊勢崎市
五十嵐清隆市長

富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されてから約3年が経過しました。昨年度は、市内境島村の田島弥平旧宅に1万5000人を超える観光客が訪れ、田島弥平旧宅の世界遺産としての価値をご理解いただいているところです。

田島弥平旧宅では、昨年度から公開を開始している桑場1階に加えて、今年度からは、毎月第3日曜日に主屋1階上段の間の公開を開始し、新たな公開範囲の見学ができるようになりました。また本市では、桑場に隣接する別荘や冷蔵庫跡などの史跡整備に向けた発掘調査を実施しており、18日には上段の間の公開に合わせて、発掘調査現地説明会を開催したところです。今後も引き続き、史跡田島弥平旧宅整備基本計画に基づいて調査や史跡整備を進め、より充実した見学をお楽しみいただけるよう努めてまいります。

田島弥平旧宅の周辺については、田島弥平旧宅案内所の機能を旧境島小学校校舎へ移転することなどを定めた「旧境島小学校校舎の有効活用に関する計画書」を3月に公表し、現在、この計画に基づく設計を進めているところです。また、田島弥平旧宅とともにぐんま絹遺産に登録されている境赤煉瓦[れんが]倉庫の改修工事が11月に完了する予定であり、地域の活性化やまちづくりの拠点としての活用が期待されているところです。

本市では、今後も引き続き田島弥平旧宅の史跡整備や関連施設の有効活用を図りつつ、田島弥平や先人が築いてきた絹産業の歴史、文化をより多くの人々に伝えてまいります。

よみがえる高山社に期待

藤岡市
新井 利明市長

高山社跡は世界文化遺産登録から3年を迎えます。これまでの間、市民の皆さんにも世界遺産登録をきっかけに、高山社跡、さらには絹の歴史や文化に大いに関心を寄せていただきました。

高山社跡では長屋門修復工事が3年目に入り、現在は建物の姿をイメージできるほどに仕上がっています。今年度は屋根と土壁を中心に工事を行う予定で、2018(平成30)年度には修復が完了する見込みです。その後、メインの建物である母屋兼蚕室の修復工事を行う予定です。工事は長期に及びますが、かつての高山社の姿がよみがえることに大きな期待がかかります。

また、昨年4月にオープンした高山社情報館では、高山社や蚕業学校、分教場のガイダンスを中心に行うほか、観光情報も提供しています。今後は、展示内容や各種体験などソフト面の充実を図ってまいります。

高山社は養蚕教育機関であり、全国各地から多くの生徒が集まり学びました。また、全国へ養蚕教師が派遣され、各地域の養蚕業発展に貢献しました。これからも高山社が果たした役割、業績を広く周知していくと共に、絹の歴史や文化に触れられる機会を創設してまいります。絹のまち・ふじおか、そして高山社跡へぜひお越しください。

日々違う表情見せる風穴

下仁田町
原 秀男町長

荒船山の北方の山間にある荒船風穴は、冷風を生む特殊な自然環境を巧みに利用し、蚕の卵のふ化の時期を調整し、繭の増産に貢献した先人の知恵が詰まった文化遺産です。

風穴内に流れる冷風は夏場でも2度を超えることはありません。また、史跡の表情は気象に大きく左右され、日々違った表情を見せる飽きのこない史跡でもあります。風穴の迫力ある石積み脇の見学路では冷風を強く感じられ、気象条件によっては冷風によって冷やされた空気が霧のように白く流れる様子が見られるなど、これからがベストシーズンとなります。

今後の保存整備については保存整備計画により本年度は、冷風体験施設(風穴)とトイレの詳細設計を行うとともにシカやイノシシなどの獣害から史跡を守るための対策を行います。来年度建設予定の冷風体験施設完成後には蚕の卵が眠った風穴内の環境を体験できるようになります。風穴からのお帰りには創業130年を迎える日本初の洋式高原牧場「神津牧場」で高原の涼風の中、伝統の味「ジャージー牛乳から作ったソフトクリーム」を味わってはいかがでしょうか。

また、帰り道には荒船風穴のガイダンス施設「歴史館」があり、風穴に関する資料が多く展示されており、風穴の果たした役割などが分かりやすく展示されております。さらに蚕種の輸送にも貢献した上野鉄道(現上信電鉄)下仁田駅周辺には繭・生糸の保管に使われた赤煉瓦[れんが]倉庫や昭和の時代を感じるレトロな通りで、古き良き時代へタイムスリップしてみてはいかがでしょうか。荒船風穴見学と併せて、下仁田町にお越しください。


世界遺産を支える人達

“努力と功績”伝える

杢師[もくし] 昌弘さん(73)
 =高山社跡解説員

高山社跡は、高山長五郎が養蚕法「清温育[せいおんいく]」を確立した場所。当時2カ月ほどかかった蚕の飼育期間が1カ月に短縮でき、全国の農家がこぞって学んだ。杢師さんは「群馬の宝。県外に出ても、精神的な支柱にしてほしい」と価値を強調する。

高山社跡の見どころは特徴的な構造。「母屋にある通気用の天窓や2階の蚕室を暖める1階の囲炉裏[いろり]は当時、最新の設備だった」

杢師さんは地元区長を経験、現在は「高山社顕彰会」のメンバーにもなっている。「長五郎ら先人の努力と功績を伝えていくのが使命」と自認している。絹遺産に広く愛情を注ぐ。杢師さんは「世界遺産を通じ、他の遺産にも興味を持ってほしい」と願っている。

歴史重んじ保存修理

木下純さん(51)
 =文化財建造物保存技術協会

2015年から進めている富岡製糸場の国宝「西置繭所」の保存修理工事で、設計監理を担っている。部材や建物の痕跡を綿密に調べて、建物の歴史を明らかにするのが使命だ。

島根県松江市の松江城や山口県岩国市の錦帯橋など全国各地の文化財の修復に携わってきた。「産業遺産の保存は美しさよりも歴史性を大切にしなければいけない」と説明する。

パッチワークのように、まだ使える健全な部材はそのままに、傷みの激しい部材だけ新しいものに換えている。「修理の見極めが一番難しいところ。現在の作業は次の世代へ歴史を引き継ぐことが目的。部材を取り換えなくても済むことが最善」と力強く語る。

技術革新の象徴 総櫓

田島信孝さん(70)、絹子さん(68)
 =ぐんま島村蚕種の会会員

ぐんま島村蚕種の会は12年前に地元の養蚕の歴史を学び、次代に伝えようと発足。見本桑園を作って桑茶を販売、土・日曜には旧宅のボランティアガイドのほか、1年前に八木節チームを結成、年10回の公演でPRにも励む。

旧宅の本家に当たる田島信孝さん、絹子さん夫婦も会員。見どころは、屋根にある技術革新の象徴、総櫓[そうやぐら]だという。櫓の四方の窓を開閉して2階蚕室内の環境を調整する近代養蚕飼育法を確立し、養蚕農家の原型となった。

「弥平は養蚕業が国の主力産業に発展する時代を自身の才覚と努力でリードした。輝かしい歴史の記憶として国内屈指の大型蚕種建物群が島村に残っている」と信孝さんは語る。自宅の桑麻館[そうまかん]で養蚕関連資料を展示・解説し、遺産への理解を深める役割も担っている。

先人の思いに触れて

清水みちよさん(75)
 =荒船風穴友の会理事

荒船風穴は岩の塊が堆積した場所から吹き出す冷風を活用し、全国各地の蚕の卵を貯蔵してふ化の時季を調整。飼育回数を増やし繭の増産に貢献した。「風穴は今も生きていて町の宝。もっと町民にも親しんでほしい」と話し、風穴への思いが満ちあふれる。

長野県出身。15歳で富岡製糸場に就職し、下仁田に嫁ぐまで10年余り勤めた。史跡や人々の思いの灯を消したくないと、町民有志の「荒船風穴友の会」に入会。理事として活動を支え、月10回ほど見学入り口で受付業務に就いて来場者をもてなす。混雑時は、製糸場で見聞きした記憶を伝える。「四季折々の表情豊かな風穴を見て感じ、先人の思いに触れてほしい」と来場を呼び掛ける。

県の校旗を作ろうプロジェクト

児童が育てた 蚕から旗

児童が身近に絹産業に触れる機会として、県が実施する絹文化継承プロジェクト「校旗を作ろうプロジェクト」が今年も始まり、県内50の小学校で子どもたちが養蚕に取り組んでいる。

プロジェクトは小学生が養蚕や絹織物に触れることで、絹文化や絹産業に理解を深めるのが目的。県はふ化後10日間ほど育てた蚕を参加各校に配布し、各校は蚕が繭になるまで育てる。本年度は50校にそれぞれ600匹が配られた。

できた繭は県が集め、碓氷製糸(安中市松井田町)で生糸にし、その後桐生市の織物工場で布に加工する。染色、刺しゅうを経て、年内には校章などをあしらった校旗が完成する。白布を受け取って各校が独自に仕上げることもできる。

プロジェクトは2年前から始まり、延べ139校が参加している。

桐生神明小のマスコットキャラクター「しんめちゃん」をあしらった旗

「しんめちゃん」活用 桐生神明小

プロジェクトには3年連続で参加する学校もある。桐生神明小(佐野悦生校長、242人)は、初年度からアイデアを生かした旗作りをする。

最初に作ったのは同校のマスコットキャラクター「しんめちゃん」を入れた紺色の旗。4年生時に取り組んだ阿部ナオさん(6年)は「児童会の旗として校内の行事に使っている」と話す。

昨年度は運動会用の赤い団旗を制作。学校独自の予算で白い団旗を作り紅白そろえた。堀口彩葉さん(同)は「9月の運動会でのお披露目が楽しみ」という。

本年度は運動会用の優勝旗を作る予定。入口美玖さん(同)は「蚕の糸でこんなすごい旗ができるなんて驚き」と話し、本年度完成する三つ目の旗を心待ちにしている。

昨年度は7.4キロの生糸に

県の校旗を作ろうプロジェクトには2015年度44校、16年度45校が参加し取り組んだ。できた繭は碓氷製糸に持ち込まれ15年度は5.8キロ、16年度は7.4キロの生糸になった。完成した旗は県庁県民ホールに展示された後、参加各校に配布された。各校は来校者の目に触れる場所に掲示するなど、児童が取り組んだ絹文化の宝を見てもらっている。

完成した旗は県庁で一堂に展示された(2016年1月)

桑の葉で育てる 富岡黒岩小

養蚕に取り組んだ参加校の多くは蚕の餌に人工飼料を使っているが、中には桑で育てた学校も。その一つ、富岡黒岩小(永井尚寿校長、81人)は4年生15人が取り組んだ。

桑の葉での飼育は餌やりの回数が増えるのが難点。一日2回与えなければならず、学校周辺の桑だけでは足りない。そこで同校を担当する養蚕指導員、松本明さん(58)が週2回桑の葉を届けている。本多愛来さん(4年)は「餌やりが楽しい。桑を食べる音も聞こえる」と繭になるのを楽しみにしている。

永井校長は「蚕から製品になるまで絹産業の一連の流れを把握できるのがこのプロジェクトの良い点」と話す。

蚕に餌の桑の葉を与える富岡黒岩小の児童
新しい発想で翼広げる

5月、株式会社誕生

「先人たちの努力によって58年間続いた農業協同組合の伝統。この背骨をしっかり守り、新しい発想でウイング(翼)を広げていきたい」

今年5月、碓氷製糸(安中市松井田町)は組合製糸から会社組織の営業製糸へと改変。碓氷製糸株式会社の初代社長に就任した元食糧庁長官の高木賢さん(73)―高崎市出身―は製糸・絹産業発展への思いをこう語った。

着物は民族衣装でありながら日本の生糸で作られた純国産品の織物はわずか2%。ネクタイなどの絹製品全体では1%弱で、大半は外国産だ。そこには、かつて生糸の世界市場の8割を独占していた“絹の国”の面影は無い。

しかし近年の世界遺産効果で、再び生糸が注目されている。県産や国産の需要が高まり、県内では繭を増産する養蚕農家や蚕糸業に新規参入する動きもある。

碓氷製糸は生糸生産の約6割を占める国内最大手。現在も片倉当時の富岡製糸場と同じ型の繰糸機が稼働している。1959年に発足し、碓氷製糸農業協同組合の組合員数は多い時でおよそ3千人。しかし養蚕農家の高齢化などで昨年は23人まで減少。製糸業の存続と発展、蚕糸業復活をかけて株式会社化に踏み切った。

養蚕農家とJA碓氷安中が出資して資本金520万円でスタートした後、今月20日の臨時株主総会で増資の承認が得られた。県と安中市、富岡市が各400万円を出資するなど資本金は2500万円になる見込み。

蚕糸業の衰退に伴い、ピーク時は全国に1800社を超えていた製糸場も現在は4社のみ。碓氷製糸と同じ輸出用の生糸を生産していた旧器械製糸工場は山形県に1社で、国内需要向けの旧国用製糸工場は長野県に2社。いずれも営業製糸だ。

株式会社になった碓氷製糸は、今後より柔軟で多角的な経営を目指す。「開放度を広く、知恵を集めて世間に認められるものを作る。外国糸との差別化は、良質な生糸を作ることに尽きる。また、新製品へのチャレンジとして介護・福祉に役立つものなどを今後具体化していきたい」と高木社長。富岡製糸場など世界遺産への協力も惜しまないという。

製糸業は、養蚕農家から繭を購入して生糸を生産し、それを生糸取引業者などへ販売する蚕糸・絹業のほぼ中央に位置する。

「扇の要にいるわけだから、まさに中心となってチーム力を発揮していかねばならない」

(左上から時計回りに)熟練の手さばき/シルク配合の石けんなどを商品化/「ぐんま黄金[こがね]」など数種類の繭を生糸に/糸を繰るのは女性の仕事/今年5月、新しい看板が正門に掲げられた/創業当時の面影を残す碓氷製糸全景