富岡を歩いていると、 そんな瞬問によく合う。
戦災に遺わなかった街は、 明治から現代までの建築物が 肩を並べている。
建物には住み手の記憶や 作り手の思いが色濃く残り、
さまざまな角度から語りかけてくるからか。
世界遺産登録から4年。
主役は富岡製糸場から、 周辺のバッファゾーン(緩衝地帯)へ。
製糸場へのリスペクト(尊敬)を核に、
今ここにある資産を生かし 街が変わろうとしている。
富岡市の玄関口「上州富岡駅」には、明治5(1872)年に建てられた富岡製糸場のDNAが息づいている。駅舎の設計者は製糸場の木造レンガ造りに敬意を示し、鉄骨+レンガで現代風にアレンジしてみせた。駅舎のホームに立つと、レンガの壁が額縁となり、くっきりと街が切り取られる。上州の透明な青空と富岡倉庫の赤レンガ、歴史を惑じる瓦屋根―。
駅舎と同色のレンガは、駅前広場や富岡倉庫に続く歩道にも敷き詰められている。レンガ建築が街に溶け込むような風景は、世界遺産との出合いを期待させる。
「ここが製糸場?」 思わず間違えてしまうほど、立派なレンガ倉庫が目を引く。製糸場操業の約30年後に建てられた倉庫は、製糸場のフランス積みより強度の高いイギリス積みを採用。時代と建築の 進化を感じる。できた時は繭や生糸の倉庫として、来年3月からは総合ガイダンス施設「世界遺産センター(仮称)」として活用。駅から製糸場へ、人の流れをつくり出す拠点となる。
富岡製糸場にならった越屋根、蚕が最初に吐く糸「きびそ」を使った壁紙―。建築家の隈研吾氏が手掛けた新市庁舎は、絹で栄えた街の歴史が建築に表現されている。外観では、日よけのルーバー(羽板を並ぺたもの)が印象的。片面は地場の木材でナチュラルに、片面は金属でクールに。行きと帰りで、がらりと印象を変える建物だ。
富岡市庁舎を通り抜けた先に、新築移転した商工会議所会館がある。製糸場と同じ「トラス構造」の内観は、製糸場への動線として機能。養蚕道具「まぶし」を模した組子細工や、ここにあった旧吉野呉服店の土蔵が、土地の記憶を今に伝える。
正面は呉服店の趣を生かしている。土蔵は改修中で、ギャラリーなどに活用する予定。
店名はイタリア語で「マツ」。店主の馬場俊人さんが製糸場内のマツにちなんで名付けた。地元農家の新鮮野菜で作るイタリアンとピザが名物。店の横には緑あふれる「お富ちゃん広場」があり、街づくりを愛する人がつながるイペントが開かれている。
上野鉄道(上信電鉄の前身)は明治30年、富岡製糸場の生糸などを運搬するために高崎―下仁田駅間で全線開業した。路線そのものが蚕糸業を支えた近代化遺産だ。ドイツ生まれのデキは、ことしで94歳。国内最古級の現役デキだが、今は修理 のため駅構内で休業中。イべントで会える日まで「Bis bald! (またね!)」。
※許可を得て撮影しています。
臼井研究室の学生が撮影した「インスタ映え」する写真を紹介します。
製糸場付近では、行政や住民によるリノべーション事業が活発になっている。これから物件管理や運営もこなし、「豊かな空間は自分たちで作る!」と気合十分。1年後はどんな街になるのか、今からワクワクしてくる。
街づくりのベテランで、富岡げんき塾塾長の入山寛之さん(右)。「町の人と来た人がつながる場所づくりを目指している。お金より楽しさをもうけたい」という熱い思いと、街中にゲストハウスをつくる「まちゃど」構想を教えてくれた。
黄色の外壁が目を引く路地裏の花屋。2階は長く空き家だったが、改装してシェアアトリエになる予定。
大正、昭和期に造られた外観を生かしつつ、1階は日本酒バーや交流スペースに、2階と別棟はゲストハウスに生まれ変わる。
製糸場に続く道沿いにある旧肥留川医院。昭和初期の建物は、世界遺産の情報発信基地に生まれ変わった。
世界文化遺産・国宝・富岡製糸場の最寄り駅、上信電鉄上州富岡駅に降り立つたびに、現在進行形の街に来たのだと実感します。黄みを帯びた煉瓦(れんが)の壁、繊細な柱が支える真っ白な屋根は、上州の澄んだ青空を切り取るだけでなく、過去と現在を結びつける額縁でもあるのです。1872年に完成した富岡製糸場は、フランス人のA. E. バスチャン設計による木材の骨組に煉瓦積みを組み合わせた木骨煉瓦造。上州富岡駅は、日本の建築家ユニット「TNA」設計によって2014年に完成。鋼材の骨組を煉瓦積みで補強する鉄骨煉瓦造。製糸場を支える明治の工法が、平成のデザインとして継承されているのです。今回は建築を糸口に富岡の魅力を再考したいと思います。
富岡製糸場を前にすると、古代ローマの煉瓦造の遺跡を訪れた時と同じ感情を抱きます。「前前前世」に出会えた、とでも形容できるでしょうか。当時世界一を誇った製糸場は破格のスケールでありながら、その表情は限りなく優しいのです。外国人に技術指導を仰ぎ日本の瓦職人が上州福島の粘土を焼き上げた煉瓦、下仁田の石灰による漆喰(しっくい)、妙義山から切り出された杉材。そこには上州の美しい風土が映し込まれているのです。そのためか製糸場を生み育て、今日まで守ってきた先人たちの決断と勇気が柔らかく空気のように伝わってくるのです。そして、世界的に貴重な宝物の意義を伝え、後世に生かさなくては、という思いに駆られるのです。
ヨーロッパでは、古代ローマの再発見が一つのきっかけとなってルネッサンスが始まりました。現在、富岡では富岡製糸場を再読、蚕糸業に着想を得た建築が次々に生まれています。たとえば、富岡市役所(隈研吾建築都市設計事務所、2018年)は、製糸場に敬意を表し、それを超えない高さを抑えた佇まい。来庁者を招き入れるような深い庇(ひさし)の連なり、富岡産木材を多用した緻密な日よけ、養蚕農家にならった吹き抜けと換気設備、蚕の吐き出す糸「きびそ」を織り込んだ壁紙と、富岡らしい知恵が結晶しています。たとえば、商工会議所会館(手塚建築研究所、2018年)は、商業をイメージさせる旧呉服店の構えを残した正面に対し、工業を想起させるノコギリ屋根のシルエットを持つ総ガラス張りの側面が特徴。窓に組み込まれた養蚕用具まぶしを模した木格子を通して、広大な吹き抜け空間に荘厳な光が溢れています。同じく中央に柱のない富岡製糸場の繰糸場を詩的に再解釈したかのようです。
富岡で注目されるのは、このような新建築だけではありません。駅から製糸場にいたる徒歩圏内のそこかしこで懐かしくもハイセンスな場所が続々と登場し、街歩きの楽しさを倍増させてくれます。製糸場の発展にともなって建設された赤煉瓦倉庫や商店、長屋、医院など、富岡の街並みを性格付けてきた歴史的建造物が、お祭り会場やレストラン、カフェ、情報センターなどとして魅力的に生まれ変わり、旧来の街並みと好対照を見せています。さらには、空き家がリノベーションによって、まちやどとして生まれ変わる計画も進んでいます。世界遺産登録後の富岡は、世界から来訪者を迎え、情報発信する場に変化しつつあります。富岡は、明治時代に花開いた実験精神に触れられるだけの過去の街ではないのです。上州から世界を目指した先人の覚悟に対する敬意と歴史文化を大切にしながら、昨日のフロンティアスピリッツを明日のライフスタイルに生かす現在進行形の挑戦に出合える特別な場所なのです。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は25日に世界文化遺産登録4周年を迎える。構成4資産のある4市町は、絹産業遺産が歴史と文化に与えた影響を分かりやすく広く知ってもらおうと、見学施設の改修や展示物を充実させ、入場者の受け入れ態勢を整えている。4資産の現状とこれからの見どころ、訪れた際に立ち寄りたいグルメとともに、地域の宝を守り伝えていこうと力を合わせて活動する若者や子どもたちの姿を紹介する。
富岡市は8月25日、富岡製糸場建設を指導したフランス人、ポール・ブリュナと妻、エミリにちなんだ無料コンサートを東置繭所で開く。夫妻が製糸場に持ち込んだのと同型のピアノを使用する。「明治150年」の記念演奏会で、本県出身の羽鳥美紗紀さん(フルート)、渋川ナタリさん(ピアノ)がサンサーンス、ドビュッシーらの名曲を披露する。「日仏友好160周年」企画にも位置付けた。世界遺産登録4周年を迎え、製糸場はますますパワーアップ。製糸場やシルクの魅力を写真とコピーで表現した「富岡製糸場ブランドブック」(A4判横144ページ、税別2200円)を3月に制作し、好評発売中。開業記念日の10月4日には映画「紅い襷」の無料上映会を予定している。同月、「社宅76」を養蚕や座繰りが体験できる施設としてオープンさせるため、改修工事も急いでいる。
市によると、ブリュナ夫妻のピアノはスタインウェイ社のアップライトピアノ。1872年、製糸場に持ち込まれた。本物は所在不明だが、74年製の同型を高崎市のピアノプラザ群馬が所蔵していて、協力を受ける。コンサートは午後3時開演。定員は抽選で170人。無料だが富岡市民以外は製糸場の入場料が必要。8月3日までに申し込む。同21~24日、誰でも楽しめるプレコンサートも開く。
明治150年の企画はほかに、富岡市と観光連携協定を締結している安中市、長野県軽井沢町にある明治期の文化財、「碓氷第三橋梁」(安中)、「旧三笠ホテル」(軽井沢)とともに製糸場を紹介する企画展を7月7日~8月19日、東置繭所で開く。12月には九州の世界遺産(八幡製鉄所など)と連携した企画展・講演会も計画する。
保存修理工事が進む西置繭所は、瓦の設置作業が始まった。年度内に作業が終わり、ベランダの補修も完了するため、来春には西置繭所を覆う素屋根と特設工事見学施設も撤去される。市富岡製糸場保全課は「撤去前にぜひ、目線と同じ高さで工事を見学してほしい」と呼び掛けている。
問い合わせは市富岡製糸場戦略課(0274・64・0005)へ。
富岡製糸場が世界文化遺産登録となってから4年を迎えるなか、現在、保存整備活用工事を行っている西置繭所は、2020年東京五輪・パラリンピックの開催に合わせて完成を目指しており、インバウンド対策も強化しながら、多くのお客さまをお迎えできるよう準備を進めております。あわせて、場内では、繭を乾燥させていた乾燥場や、社員が生活していた社宅(うち1棟)の保存整備工事も進めており、いずれも完成後は、公開活用を予定しています。
また、上州富岡駅と富岡製糸場を結ぶ動線上に位置する富岡倉庫を活用するための整備も進められており、倉庫や新庁舎の周辺一帯を市民の皆さまの憩いの場、そして、観光客と市民とがイベントなどを通じて交流することのできるにぎわい創出の拠点として整備していきます。
特に富岡倉庫内には県により「世界遺産センター(仮称)」が設置されます。「富岡製糸場と絹産業遺産群」のガイダンス施設として、世界遺産の持つ価値と魅力を伝えていくとともに、絹文化についても総合的に情報発信する施設として多くの皆さまにご利用いただけるものと期待しております。
今年は、明治150年の年に当たります。この節目の年に、改めて当時を振り返り、日本の近代化を支えた富岡製糸場と絹文化の価値と魅力について触れていただけると幸いです。これからも多くの皆さまをお迎えできるよう、そして、再度訪れてみたいと思っていただけるよう、まちの魅力向上に努めてまいります。これから大きく生まれ変わる富岡市に皆さまぜひお越しください。お待ちしております。
田島弥平旧宅(伊勢崎市境島村)の近くにあった伊勢崎境島小は、児童数が減少し2016年3月で統廃合され廃校となった。現在、校舎東側に旧宅の案内所があるが、手狭なため改善を求める声があった。そこで市は旧境島小校舎の一部をガイダンス施設として整備し、9月にもオープンする。世界遺産登録から4年を迎え、来場者が減少傾向にある中、旧宅の価値を分かりやすく発信する。
市によると、2階建て校舎のうちガイダンス施設として想定しているのは校長室や職員室、保健室などだった1階の西側半分。資料展示や映像上映、休憩、物販の機能を備える。
このほか関連資料の収蔵庫、整理室などとしても校舎を活用する。同市は「来場者も減少しており、校舎に移設することで展示案内機能を拡充したい」としている。現案内所は地域交流施設として活用する方向だ。
現在、旧校長室や職員室、保健室はきれいにリフォームされ、在りし日とうって変わった何もない状態になっている。とりあえず、現案内所にある展示品を引っ越すことになるが、将来的には「何か核となる展示品ができれば」としている。田島家をはじめとする地区の偉人や偉業をどのように後世に伝えるか。地域の宝のさらなる有効活用が望まれる。
田島弥平旧宅が世界文化遺産に登録されてから4年を迎えます。この間、市民をはじめとする多くの皆さまに訪れていただき、田島弥平旧宅の世界遺産としての普遍的価値をご理解いただいているところです。
田島弥平旧宅では、桑場1階に加えて、昨年度から毎月第3日曜日に主屋1階上段の間の公開を始めており、本年度も引き続き行っております。また、史跡田島弥平旧宅整備基本計画に基づき、本年度から史跡内南側にある別荘の整備工事を行う予定であります。その他の建造物につきましても、順次史跡整備を進め、より充実した見学がお楽しみいただけるよう努めてまいります。
田島弥平旧宅の周辺については、現在、田島弥平旧宅案内所の機能を旧境島小学校校舎へ移転する工事を行っております。この案内所には、田島弥平の功績をより深く理解していただけるよう、田島弥平の人物像や絹産業及び境島村の歴史に関するものの展示室や休憩コーナーなどの設置を計画しており、今年9月には新しい案内所がオープンする予定となっております。
また、田島弥平旧宅とともにぐんま絹遺産に登録されている境赤レンガ倉庫は改修工事が終了し、本年度から本格運用され、地域の活性化やまちづくりの拠点として有効活用されております。
これからも田島弥平旧宅の史跡整備や周辺関連施設の効果的な活用を図ることにより、世界遺産のあるまちとしての魅力を発信してまいりますので、田島弥平旧宅そして伊勢崎市へぜひお越しください。
高山社跡(藤岡市高山)では2015年から長屋門の修復工事が行われ、今秋に完成する。藤岡市教委の調査によると、屋根瓦を葺(ふ)き直し、壁を塗り直す作業の中で新たな発見があった。長屋西の板壁に高山社の学生が、鉛筆で書いた落書きが見つかった。自分の名前や学年、繭収量など、たわいない内容だが、当時、全国から集まった若者たちが学んでいた息遣いが、確かに感じられる。
屋根は同市の伝統製法で焼かれた藤岡瓦約1300枚を使った。両端に「高山」の名前の入った鬼瓦が上げられ、漆喰(しっくい)と板瓦で接合する影盛が設けられた。土壁は植物のスサを細かく切って土に練り込み、竹を組み合わせた下地に塗った粗壁など、現代では稀(まれ)にしか見られない日本の伝統的な左官技術を学び伝える機会になった。
工事終了後、長屋門の東西のスペースに新展示室を設置。落書きのパネルや修復技術がわかる部材などを展示する予定。修復なった長屋門とともに新たな見どころが増える。今後は石垣や母屋兼蚕室の修復に着手し、工事で見られなくなる部分や東蚕室など現存しない建物がわかる復原CGなどを作成する。
2014年の世界遺産登録から4年を迎え、市民の皆さまと登録をともに祝ったことを思い出し、今日、多くの来訪者を迎えられることは、「絹の国ぐんま」を大切に思う心や市民団体の活動の支えがあってのものと大変感謝し、心を新たにしております。今後、2020年東京五輪・パラリンピックの開催や世界遺産センターのオープンも予定されており、各資産を巡る機会を増やして行く絶好のチャンスであると期待しております。
高山社跡の長屋門修復工事は3年目に入り、今秋には完成する予定です。長期にわたって覆い屋に囲われていた高山社跡の顔がまた、皆さまにご覧いただけるようになります。その後に石垣の修復やメインの建物である母屋兼蚕室修復工事を行う予定です。これらの工事は長期におよびますが、未来へ保存、継承するために必要な事業ですので、ご理解いただければと思います。一方、長屋門にも展示スペースが設けられ、母屋兼蚕室のVRや今は失われている東蚕室や桑貯蔵庫の復原CGなども作成する予定で、来る度に見どころが加わる高山社跡にご期待いただければと思います。
高山社情報館も丸2年を経過し、高山社蚕業学校や分教場のガイダンスを中心に、観光情報も提供できる施設として繭クラフト体験などのソフト面の充実をさらに図っていきたいと思っています。
今後も藤岡の絹の歴史文化、養蚕教育機関高山社の果たした業績に触れられる機会を増やし、当市へ訪れていただくきっかけづくりを行いたいと考えています。絹のまちふじおか、高山社跡へどうぞお越しください。
幅広い年代の観光客がより快適に見学できるように環境整備が進められている荒船風穴(下仁田町南野牧)は、操業時の風穴全景を描いた油絵の一般公開や8月に開催される県内初の全国風穴サミットといったイベントを控え、注目を集めている。
操業時の事務所「春秋館」で5月に発見された油絵は、最盛期直前の1917年~18年ごろの貯蔵所全体の様子を描いたもので、資料的価値が高いという。荒船風穴の資料を紹介している町歴史館(同町下小坂)で、期間限定で展示しており、次回は7月1日~10日を予定している。
風穴見学後に油絵を鑑賞した米山弘之さん(61)=東吾妻町=は「今は山の中だが人の往来が多かったことが分かる。あれだけの建物を作った先人の偉大さを感じた」と感心していた。
全国風穴サミットは研究者や愛好家が集まり、風穴が果たしてきた役割や価値を学ぶイベントで、第1回は2014年に長野県大町市で開かれた。今回は世界遺産登録4周年を記念し、8月25、26の両日、シルク博in下仁田と同時開催する。風穴の魅力や利活用について探るシンポジウムのほかバスツアーやスタンプラリーなどイベントも企画している。荒船風穴の周辺整備は9月中旬の完成を目指し、着々と進む。バイオトイレや見学通路のバリアフリー化など利便性が高まるほか、風穴と同じ冷風を体感できる施設が登場する。町歴史館の秋池武館長は「昔と変わらない冷風を感じてほしい」と話している。
下仁田町には、自然エネルギーを利用した蚕種貯蔵所として絹産業の発展に寄与してきた世界遺産「国指定史跡 荒船風穴」があり、依然として、その自然冷風は失われておらず、屋敷地区の自然景観の中に壮大に現存しています。世界遺産4構成資産の中でも唯一自然を体感できる珍しい史跡として、これまで約7万5000人の方にご来場いただきました(2011~17年度)。この荒船風穴に隣接して、日本最古の洋式高原牧場「神津牧場」やダイナミックな「荒船山」があり、多くの観光客の皆さまに楽しく周遊していただいております。
また、下仁田町は、大正後期から伝わる「下仁田かつ丼」をはじめとする、懐かしくてとてもおいしいグルメがたくさんあります。町内には雰囲気の良い飲食店も多く、洋食から中華まで多くの食通に人気となっています。町では、この素晴らしい景観の観光地や魅力ある史跡、バラエティー豊かな観光資源を結び付け、より簡単に楽しんでいただけるルート整備ができればと考えています。
荒船風穴で自然の息吹や太古の歴史を感じることで心を満たし、町内に並ぶ懐かしい飲食店の「下仁田グルメ」でおなかも満たし、下仁田町をご堪能いただければ幸いです。
暑い夏、荒船風穴にて心地よい2~4度の冷風を体感なさってください。
富岡市は世界遺産や地域の魅力、価値を次世代へ伝えるため、小学5、6年生を対象とした「世界遺産キッズプログラム」を毎年8月に開いている。
筑波大大学院の黒田乃生教授が協力し、クイズやかるたを通じて世界遺産への理解を深める催し。昨年は富岡製糸場やまちの魅力を発信する動画を制作した。今年は8月22、23の両日、20人の参加者で行い、製糸場の紹介動画を制作する。
市内の小中学生は総合学習で見学に来るほか、市外からは社会科見学や修学旅行で来場するケースもある。市は「来場者の増加に向け、児童生徒の誘致に取り組む必要もある」としている。問い合わせは市富岡製糸場戦略課(電話0274・64・0005)へ。
校区に高山社跡がある藤岡市立美九里西小(春山秀幸校長)は、社会や総合学習、国語の時間を使い、地元の養蚕農家と交流を深めながら、高山社の歴史的価値について学ぶ高山社学に熱心に取り組んでいる。
4年生が卵から育てた繭の一部を、2010年から6年生に贈り、卒業式で使うコサージュとして役立ててもらっている。
地元の染色家と更生保護女性会美九里支部が協力。預かった繭を染め、型を取ってコサージュのパーツを製作している。
6年生の親子は同支部メンバーから作り方を教えてもらい、2個のコサージュを作り、思い出深い繭の花飾りを胸に着けて卒業式に臨んだ。花の種類はサクラ、バラなど毎年変わり、今春はランの花が旅立ちを彩った。
伊勢崎市立坂東小(内藤武志校長)は昨年度、当時の4年生90人余りが社会科見学で田島弥平旧宅を訪れ、総合学習の一環として、グループや個人でポスターなど20点ほどを制作した。
今年2月から5月にかけて旧宅内に展示され、世界遺産をアピールした。同校は「これからも続けていきたい」と話している。
荒船風穴の歴史や絹の文化を学び、地域振興に役立っていこうと、下仁田高(高坂和之校長)は荒船風穴プロジェクトを昨年に引き続き、実施している。
今年は全学年から30人が参加。学習会では荒船風穴のテーマソングを制作し、夏休み中に協力する観光ガイドに必要な知識を学んでいる。
テーマソングは全員で歌詞とメロディーを考えた。同プロジェクト担当で音楽教諭の大谷邦子さんが編曲し、8月に地元で開催する全国風穴サミットでガイドや学習会の成果とともに発表する。
昨年に引き続きガイドを務める生徒会長の堀口陽向さん(3年)は「風穴の魅力をうまく伝え、群馬の素晴らしい遺産を広めたい」と話している。