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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

構造や作業体系克明に 新町紡績所の油絵現存 宮廷画家、五姓田義松の作

 旧新町屑糸紡績所の建築当初の内部を示す初の資料となる五姓田義松の油絵「新町駅製糸所」
旧新町屑糸紡績所の建築当初の内部を示す初の資料となる五姓田義松の油絵「新町駅製糸所」

高崎市新町にある旧官営新町屑(くず)糸紡績所の建築当初の場内を描いた油絵が、皇室所有の御物として現存することが二十三日までに分かった。一八七八(明治十一)年に明治天皇が同紡績所へ出掛けられた際、随行した宮廷画家、五姓田義松(ごせだ・よしまつ、一八五五―一九一五)が描いた。明治期の同紡績所内部の様子が確認されたのは今回が初めて。建物の構造や作業の様子が克明に分かり、芸術、歴史資料の両面で貴重な作品として、研究者が注目している。

油絵の題名は「新町駅製糸所」。県西部県民局の事業「地域政策プロジェクト」で歴史研究をしていた県職員が、資料収集中に神奈川県立博物館発行の本にこの絵が掲載されているのを見つけ、二十三日の同プロジェクト発表会で報告した。

絵の題材は、建物内で大型の機械を動かして絹紡糸をつくる女性と、それを監督する男性で、柱や梁はり、機械の構造なども詳細に描かれている。女性はボタンと襟付きのシャツ、ロングスカート、くつという洋風の服装。五年早い七二(明治五)年開業の旧官営富岡製糸場の錦絵では、工女がはかまにげたであることに比べ、洋式の作業体系を取り入れていたことが分かる。

梁から機械へベルトで動力を伝達していたことも新たに分かった。ベルトでの動力伝達はイギリスで七五年ごろに普及したが、七七年開業の同紡績所でいち早く導入されていたことになる。

義松は洋画家の五姓田芳柳の二男。若くして才能を認められ、明治天皇が行った七八年の北陸・東海道巡幸に宮廷画家として随行し、約五十点を描いた。「新町駅製糸所」はこの巡幸で東京から長野へ向かう途中の九月三日、同紡績所を訪問した直後に描かれた。

産業遺産に詳しく、同紡績所の調査も行った国立科学博物館の清水慶一主幹は「女性従業員の服装や建物の構造など、描写が細かくさまざまなことが分かる。極めて価値の高い歴史資料になる」と驚いている。

同紡績所は官営模範工場で、日本人技術者が設計した最初期の工場。器械製糸に向かない玉繭や屑繭から絹紡糸をつむぐことで大きな利益を生み、日本の近代化に貢献した。現在も建築当初の小屋組や外壁がほぼ完全に残っている。カネボウフーズが所有する。

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