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タイに蚕糸技術を指導 長女宅から当時の写真100枚 下仁田出身の故新井さわさん

机の上に生糸の束を積み、タイで蚕糸技術を教える新井さわさん(中央)
机の上に生糸の束を積み、タイで蚕糸技術を教える新井さわさん(中央)

明治末に本県からタイへ渡り、宮中の学校で蚕糸技術を教えた女性がいたことが、十一日までに分かった。下仁田町出身の蚕糸技術者、新井さわさん(旧姓・小金沢、一八八三―一九八五年)で、前橋市昭和町の長女、すみさん(96)宅から、タイ滞在時の写真が大量に見つかった。二十代前半の若さで現地の上流階級の子女を指導しており、蚕糸技術の重要性と日本の技術の高さ、蚕糸業にかける上州女性の心意気を物語る資料と言えそうだ。

新井さんは下仁田町馬山で生まれ、東京の国立蚕糸学校蚕糸養成所を一九〇五(明治三十八)年に卒業。同年から三年間、明治政府の派遣団の一員としてタイに渡り、宮中にある養蚕学校で蚕糸技術を教えた。

派遣団は四、五人で、蚕糸技術を教える女性はほかにも一人いたが、病気ですぐに帰国したため、新井さん一人が大役を担った。当初二年間の契約を一年延長し、一九〇八年まで滞在。帰国後は結婚し、前橋市に住んだが、蚕糸業から離れたことから、本県蚕糸業界では存在が知られていなかった。

現存する写真は白とセピア色で約百枚。新井さんは着物にはかま、白い足袋という気品ある姿で、机の上に生糸の束を積んで作業したり、教え子に囲まれて座っている。同行した日本人が撮影した写真を、譲り受けたものと見られている。

新井さんの孫で千葉県柏市の童話作家、古田節子さん(66)が、新井さんの伝記を書くために実家の古い写真を歴史資料と照らし合わせたところ、本県の蚕糸業の知られざる一面を表す資料であることが分かった。

古田さんは「明治時代に上州の山村から海外へ飛び出す積極性はすごい。上州女性の一人として蚕糸業の大切さを知っていたのだろう」と話している。

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