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富岡製糸場で発見 所長務めた速水堅曹 和歌つづった「柱隠し」

2度所長を務めた速水堅曹
2度所長を務めた速水堅曹

 富岡市の旧官営富岡製糸場で、2度にわたり所長を務めた速水堅曹(はやみけんそう)(1839―1913年)の和歌が書かれたスギ板の柱隠しが見つかった。製糸場内に長い間飾られていたとみられる。和歌は製糸場を丹精した菊にたとえて詠よんだ可能性もあり、市教委は貴重な資料とみて、さらに調査を進めている。

和歌に添えられていた「堅曹」の文字

旧官営富岡製糸場でみつかった柱隠し
旧官営富岡製糸場でみつかった柱隠し

柱隠しは、柱に掛ける装飾で、昨年、市教委が二号館納戸の資料整理中に発見した。当初読み取れたのは和歌に添えられていた「堅曹」の文字だけで、慎重に砂ぼこりを取り除き、書道専門家にも確認して文字を判読した。

書かれていた和歌は「志ら徒由能 於く遊可しくも すむやとに う恵多流幾久耳 千代乃色那る」(白露の 奥ゆかしくも 住む宿に 植えたる菊に 千代の色なる)。和歌の下に胡粉(ごふん)で描いたとみられる菊花があり、絵の作者名らしい痕跡がある。

長さ一メートル七六センチ、幅八・五センチ。上部に柱へ掛ける四角の長い穴、下部にくぎを打ち付けた跡があり、裏側はひび割れを目札(和紙)で補修している。市教委文化財保護課は柱隠しの状態から、長期間掲げられたとみている。

堅曹は場内の一号館(ブリューナ館)に住んでいたが、この大きさの柱隠しを掛けられる場所は現在見当たらず、制作時期や掛けた位置は不明。堅曹は明治十年代以降に和歌を残したが、この歌は日記「履歴抜ばっすい萃」などに記載がなく、子孫の速水美智子さん(茨城)への聞き取りでも存在は確認されていなかったという。

一八八五年から同製糸場が三井家に払い下げられる九三年まで、堅曹は二度目の所長を務めており、市立美術博物館の今井幹夫館長は「作った年代、背景で意味は変わり、判断は難しいが、製糸場を丹精した菊にたとえたとすれば、当時の繁栄の様子を歌い、『千代の色なる』に行く末を案じる思いを込めたとも解釈できるのでは」と話している。

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