「日本最初期の洋風建築」 旧新町屑糸紡績所見学会 住民らに価値説明 高崎
- 掲載日
- 2008/02/10
工場内部を見学する参加者
明治時代の姿を残す高崎市の旧官営新町屑(くず)糸紡績所の見学会が九日開かれ、地域住民ら五十二人が近代化を支えた紡績業や貴重な建築物の歴史を学んだ。
県民自治ネットワークの高崎、藤岡の両グループが、日本の紡績業に多大な貢献をした実績や初期の洋風建築の価値を再認識してもらおうと企画した。
紡績所の建物群が残っているのは、クラシエフーズ(旧カネボウフーズ)新町工場の敷地内。クラシエのOB会「新鐘(しんしょう)会」の五十嵐静夫会長(77)が案内役を務めた。
参加者は精錬、製綿、前紡の工程が行われたのこぎり屋根の工場、火災に備えてれんがの中敷き防火壁を組み込んだ原料倉庫、一八七七(明治十)年の開業の翌年に行われた明治天皇行幸記念碑などを順番に見て回った。
五十嵐さんは、額縁風の外枠で木枠とガラスの間をパテのようなもので固めた窓、和くぎや四角ボルトといった特徴的な建築材料について紹介。「日本人の手で造られた日本で最初期の洋風建築による工場が残っている」「半分以上が寄宿舎に住み込み、二千人以上が働いていた」と、工場の価値や六十年ほど前の様子を伝えた。
同市倉賀野町の鈴木正利さん(70)は「これだけ古い建物が残っているのは珍しいと思うし、次の時代に残したい」と話していた。