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西塚梅 富岡製糸場所長の姉 工女に繰糸技術指導 「存在広めたい」子孫宅で写真発見 県立文書館に寄贈

県立文書館に寄贈された西塚梅の写真
県立文書館に寄贈された西塚梅の写真

旧官営富岡製糸場の所長を務めた速水堅曹の姉で、旧前橋製糸所などで技術指導を任された西塚梅(一八二五―八八年)の写真が東京都内の子孫宅で見つかり、二十六日までに県立文書館(前橋市文京町)に寄贈された。梅に関する資料は少なく、文書館が所蔵するのは初めて。梅の子孫で、寄贈を仲介した小林春樹さん(64)=埼玉県栗橋町=は「梅の存在はあまり知られておらず、こういう人物がいたことを広めたい」と話している。

小林さんによると、梅は武蔵国入間郡川越(現在の埼玉県川越市)生まれ。一八四二年に遠藤家に嫁いだが夫と死別し、六八年に西塚清造と再婚。堅曹らが設立した日本最初の器械製糸所「藩営前橋製糸所」にかかわり、スイス人から繰糸技術の指導を受け、工女や伝習生の教育に当たった。

さらに、弟の桑島新平が責任者になった研業社(関根製糸所、七五年設立)で約十四年にわたり教師兼工女取締を務め、製糸業の発展に貢献したとして、県から二度表彰を受けた。

小林さんは定年退職後、自らの家系を調べる過程で梅の再婚や製糸所での役割に興味を持った。西塚家の現当主である西塚晶彦さん、堅曹の子孫の速水美智子さんらと情報交換しながら梅の生涯を研究。梅の写真が昨年一月に見つかり、所有者の承諾を得て寄贈に至った。

写真は縦十一・五センチ、横九センチで、桐(きり)の木枠に収まっている。梅が死去する三カ月前の八八年七月に撮影された。木枠の裏には梅の詠んだ短歌二首が記され、筆跡から堅曹が書いた可能性があるという。

小林さんは「まだ分からない点が多い。梅が製糸にかかわったきっかけを調べたい」と今後の研究に意欲を見せている。

文書館は梅の写真について「本年度の早い段階で公開したい」としている。

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