上毛新聞社「21世紀のシルクカントリー群馬」キャンペーン

上毛新聞社Presents
「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《インタビュー》 富岡製糸場など世界遺産登録 価値の明示が鍵

前ユネスコ大使 近藤 誠一さん
前ユネスコ大使 近藤 誠一さん

七月に世界遺産の登録延期が決まった「平泉の文化遺産」(岩手県)のケースは、登録推進の方向性を見つめ直す機会となった。本県の富岡製糸場と絹産業遺産群をはじめとする産業分野が有力になるとの見方も出てきている。世界遺産登録を取り巻く環境はどうなっていくのか。二〇〇七、〇八年の世界遺産委員会に出席した前ユネスコ日本政府代表部特命全権大使、近藤誠一さん(62)に現在の情勢と課題を聞いた。

(聞き手・江原昌子)

―〇七年に登録された石見銀山遺跡(島根県)は、日本はもちろんアジアでも初めて、産業分野から登録を果たした。国の隆盛を支えた産業遺産への注目度は年々高まっている。

「これまでは純粋に文化的なものが登録されてきたが、人類の発展の歴史を示す産業遺産も広い意味の文化遺産として考えられるようになった。今後増やしていくべきだという意見があり、一つの流れになっている。ただ、問題はどの分野で登録を目指すにせよ、世界遺産条約の基準に合っていることをいかに説明できるかに尽きる」

―世界遺産暫定リスト入りしている本県の遺産群は蚕糸業にまつわる十カ所で構成され、登録を推進する関係者は日本の近代化発祥の地であると強くアピールしている。

「直接現場を拝見していないので話を聞いた範囲内での考えだが、富岡製糸場は建築を含めフランスから技術が導入されており、国際的なアイデア、技術の流れが明確に証明できる。また、富岡の生糸で作られたストッキングはアメリカにも渡り、一方通行ではなく東西交流のシンボル。世界遺産の基準の一つに合致すると言える」

―県内では、同遺産群の構成資産の拡大を模索するため、県と関係市町村による協議が始まった。桐生市の織物遺産などの追加が有力視されている。

「同種の遺産をまとめて登録するシリアルノミネーションは一つのはやり。数を増やすことで規模は大きくなると同時に、一つのコンセプトで全部の資産をきれいにつなげるかという問題が出てくる。後に加わる資産が必要かつ十分なのか、推薦書で説明しきれるかが大きなポイントだ」

―近藤さんがユネスコ大使在任中に携わった石見銀山遺跡と平泉の文化遺産は、いずれもユネスコの諮問機関から登録延期の勧告が出された。

「いろいろと反省すべき点がある。世界文化遺産の登録基準六つのうち、平泉は四つ、石見は三つを使った。一つだけで通るケースもあり、自信があるものだけに絞ったほうがいいと感じる。合わせ技で総合点を取ろうとするより、一つ一つの基準でしっかりと理論付けをすることにエネルギーを使うほうがいい」

―本県の遺産群は構成資産の枠組みが正式に決定した後、推薦書の作成、提出という正念場を迎える。

「地元の方々の強いサポートは今後も必要。いろいろな制約を受けてでも遺産を残そうとする意思は、価値を証明する間接的な一手段になる。また、推薦書は日本人の常識で書いたものを単に翻訳するだけでは通じない可能性が高い。文化遺産の専門家や、日本文化に造詣の深い外国人らと時間をかけて議論しながら、価値を提示していく作業が非常に大事だ」

◎資産つなぐストーリーを

近藤誠一さんは今月六日に東京都内で行った講演で、世界遺産委員会の審議で登録可否が分かれた石見銀山遺跡と平泉の文化遺産について、「今の時代に合ったメッセージ性があるかないかの違いがあった」と振り返った。

近藤さんは石見銀山に登録延期の勧告が出された後の二〇〇七年五月に現地を視察し、その木々に覆われた姿から「環境」というキーワードで戦略を練り直すことを発案。「緑の鉱山というだれもが納得する短いフレーズで大逆転できた」と語った。

一方で、巻き返しがならなかった平泉の文化遺産については「生きとし生けるものはみな極楽浄土へ行ける、という思想は世界中がすぐに納得するわけではない。関係者に説得を試みたが、説明の難しさとストーリーの深さ、長さがあった」と“敗因”を挙げた。

近藤さんは一貫して「遺産の価値を異文化、異言語の人に分かりやすく説明すること」の重要性を主張してきた。本県の富岡製糸場と絹産業遺産群も本登録に向け、各資産をつなぐストーリーの確立と世界に発信できる強いメッセージが求められる。

こんどう・せいいち
東京大教養学部卒、同大大学院法学政治学研究科修士課程中退。72年外務省入省。広報文化交流部長、国際貿易・経済担当大使などを経て2006年8月からユネスコ大使を務め、今年7月にデンマーク大使に就任。神奈川県出身
富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)