売り出せ“絹の道” 横浜開港150周年 6都県37団体あす連携会設立 県と9市町村参加絹遺産群などPR 本県
- 掲載日
- 2008/10/21
日本の近代化期に生糸の産地や交易路だった本県を含む6都県の37団体は22日、「絹の道都市間交流連携会」を設立する。生糸が横浜港から輸出された歴史を踏まえ、来年の横浜開港150周年に合わせたイベントに共同参加し絹製品をアピールするほか、絹産業遺産の保存活動、絹文化の伝承に取り組む。絹をテーマにした自治体の広域連携は初めてで、“日本のシルクロード”に再び光が当てられる機会になりそうだ。
連携会に参加するのは群馬、埼玉、長野、山梨、東京、神奈川六都県内の三十六自治体と記念イベントを実施する「横浜開港百五十周年協会」。本県では旧官営富岡製糸場を抱える富岡市や織物業が盛んな桐生市、蚕糸業で一時代を築いた前橋市など九市町村と県が加わる。二十二日に横浜市で設立総会を開く。
横浜開港百五十周年を記念したイベントは来年四月から九月にかけ、同港周辺など横浜市の広い範囲で開かれる。連携会は六―七月、生糸貿易のシンボルである赤レンガ倉庫内外を会場に、各団体が週替わりで資料展示や絹製品の販売を行う。本県は世界遺産暫定リスト入りしている富岡製糸場と絹産業遺産群のPR資料を中心に展示する予定で、県企画課は「全国から訪れた人に富岡製糸場や世界遺産の推進運動をアピールするチャンス」ととらえる。
イベント終了後も連携を続け、絹の道の存在を浮かび上がらせるために歴史的遺産に道標を設置したり、史実の新聞掲載をまとめた冊子の作成、小中学生に対する教育活動なども検討する。
横浜港は安政六(一八五九)年、安政五カ国条約に基づき開港。生糸は幕末から明治にかけて日本の主要な輸出品となり、主要産地だった群馬、長野両県や輸出ルート沿線地は蚕糸業の発展とともに近代化を遂げた。
◎文化運んだ「生糸鉄道」
横浜開港後、富岡製糸場や組合製糸の碓氷社などで生糸生産を増大させた本県。埼玉、東京を経て横浜へとたどった輸出ルートは、利根川や江戸川を利用した水運から、一八八四(明治一七)年に全線開通した高崎線へと発達した。
高崎線は当時、群馬から横浜まで生糸を運ぶ手段として、国内初の鉄道会社である日本鉄道が開業。同じく製糸が盛んだった信州・上田地方からも荷積みされ、一時は「生糸鉄道」と呼ばれていたという。
この経路は、輸出品の運搬だけでなく西洋文明を取り入れる道でもあり、生活様式や通信、娯楽などあらゆる文化が横浜から各地に波及していった。本県では、県内最古の教会建築である名久多教会(一八八七年、高山村尻高)などに歴史の面影が見られる。