《シルクカントリーin桐生》 シルク談義 桐生織の今、そして未来 先駆的な姿勢強みに 「桐生織がおもしろい」
- 掲載日
- 2009/02/23
神戸大大学院准教授 橋野知子さん
「桐生織りがおもしろい」をテーマに講演した橋野さん
「桐生織の今、そして未来」と題したシルク談義in桐生では、橋野知子神戸大大学院准教授が、幅広い工程で技術の発展があったことが桐生織を支えたと紹介。桐生織の生産者五人が語り手を務めた談義では、長い歴史の中で培われてきた高い技術や先人たちのものづくりの姿勢に学び、織都の新たな可能性を切り開く意気込みを語った。
桐生織というのは大変おもしろい―。きょうは桐生織の歴史と、現在桐生で行われている取り組みが注目を集めているということを話したい。
私が初めて桐生を訪れたのは、大学院生のころ。明治の終わりから大正の初めにかけての桐生の機械化や工場制度の導入に興味を持って研究を進めたことがきっかけだった。
桐生の歴史的な特徴を、私は三つあると考えている。それは「多品種生産」と「織りや染めに特徴を出す」、「新しいことを最初に手掛けて発信する」ということ。
ほかの地域と比べてみると多品種少量志向の産地だったのは、桐生で工程間分業が発達していたから。分業は自分の仕事に特化して技術を高めることができたが、一方で一つでも工程がなくなってしまうと途端に競争力がなくなってしまう弱点がある。それを努力によって、長期的に維持させてきた。それと関連して、白生地をそのまま輸出したり、市場に送り出すのではなく、織りや染めに特徴を出したというのが桐生の魅力であったと言っていいと思う。
また明治以降、欧米から入ってきたさまざまな新しい技術を積極的に導入して、しかも発信基地になって技術や情報を伝えるという役割を果たした。化学染料による染織技術やジャカードなどの洋式織機がその例。日本で最初に羽二重を輸出した産地でもある。大正末期から昭和の初期にかけての大恐慌の時代には、絹の代わりにレーヨンを使い、安くて絹のように見える製品を作って市場に受け入れられた。
今、桐生織物協同組合が取り組んでいる「きりはた」もそう。伝統的な技術や技法を使いつつ、消費者のニーズを取り入れた製品の展開をしている。和装という枠の中で異業種の人たちがコラボレーションして、コーディネートを提案しているという斬新性が高く評価されている。
桐生はこれまで大変なことがあっても、生き残ってきた。そういう意味でもっともっと評価されるべきだと思うし、すごく誇りに感じるところでもある。また桐生は常に新しいことを先駆けてやっている。それは産地本来の強みを出しているんだと思う。