《シルクカントリーin桐生》 織都の可能性切り開け
- 掲載日
- 2009/02/23
―和装の三人に聞きたい。長い歴史の中で、苦しい時代を迎えた。
江原 昨年あたりから景気が悪化し、寂しい現状だ。だがすぐに別の製品を作るわけにもいかない。規模を縮小している。こんな時こそ数量の少ないもの、非効率な織物を織っていた方がいいとも感じている。
後藤 桐生の機屋は約六百社あり、のこぎり屋根工場は二百棟ほど。その中で頑張っている。行政も補助金を増やすなどして織物を応援してほしい。
泉 先染めの機屋は二十年ほどの間に激減し、私どもの一社になった。もうがけっぷち。奥歯をかみしめないと維持は大変。十年後も同じ着物を織っているのが夢だ。
―厳しい時代で今後の課題も浮き彫りになっている。桐生の織物はどこへ行くのか。
岩野 安価な製品は桐生のフィールドではない。桐生が長い間培ってきた商品開発のDNAで乗り切れるのではないか。海外からも注目されており、世界のマーケットにも対応していける。
江原 和装業界の中で差別化できることは、群馬でどういう種類の絹ができているかを知り、選んで使うこと。そういうことに挑戦する必要がある。
泉 機屋はものが作れて機屋。日本人ならば着物を一度は着てみたいという人がほとんどだろう。もっと着て歩きたくなるような着物を作りたい。
三田 織物には機能や満足度なども必要。そういったものを含めてほかにないものを作りたい。桐生が下手と言われるプレゼンテーションも勉強しないと駄目だと思う。
後藤 桐生には技術がある。先代や先々代が築いてきた技術がある。未来がないわけではない。明るい未来が明日、来ると思って頑張っていきたい。
―橋野知子さんの話にもあったが、桐生は多品種少量の産地。五人の語り手のみなさんの会社ではそれぞれどのような製品を織っているのか、語っていただきたい。
後藤 私の会社は創業百四十年になる、桐生では一番古い機屋。主に帯の“原点”ともいえる幅の広い丸帯などを作っている。
岩野 洋装用の生地を「広幅」というが、私どもはこのような洋装関係の織物を手掛けている。洋装は時代とともに変化する。最先端の素材なども取り入れながらやっている。
江原 和装の商品を作っている。緯(よこ)糸で紋様を出す「緯錦(よこにしき)」や、経(たて)糸で紋様を出す「経錦(たてにしき)」などの帯地を生産している。
三田 私は主に洋装を扱っている。先ほどテキスタイルデザイナーと紹介していただいたが、桐生の服地の営業マンは誰もがテキスタイルデザイナー。発信するだけでなく、顧客のニーズを一緒に作り込んでいこうとしている。
泉 私は着物を生産している。日ごろから遊び心を取り入れた着物を作ろうと考えており、着物をファッションに戻していきたいと考えている。
―きょうの談義はシルクがメーン。ベテランの皆さんにはもちろん深い思いがあると思うが、若手の方の思いはどのようなものか。
泉 実は私どもでは製品の素材に絹しか扱っていない。日本人のDNAは絹の肌触りや美しさ、光沢のかけがえのなさを知っているのではないか。
三田 残念ながら洋装では、和装ほど絹を使う現場は多くない。その良さは分かっていても予算的に使うことが難しいのだが、弊社では緯糸にシルクを使っている。絹にはほかにまねできない素晴らしさがあると思う。
- 語り手
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桐生織物協同組合理事長 後藤 隆造さん
桐生織物協同組合副理事長 岩野 武彦さん
前「群馬の絹」活性化研究会長 江原 毅さん
テキスタイルデザイナー 三田 修武さん
桐生織伝統工芸士 泉 太郎さん
- 司 会
- 上毛新聞社編集局次長 山脇孝雄