養蚕の近代化後世に 高崎・八幡原 稚蚕飼育所跡に記念碑
- 掲載日
- 2010/01/09
記念碑と「養蚕文化の証しを残したかった」と話す原田さん
1987年に閉鎖された高崎市八幡原町の「八幡原稚蚕共同飼育所」の果たした役割を後世に伝えようと、飼育所で働いていた元組合員らが、跡地の円福寺(大谷良海住職)の境内に記念碑を建立した。
生まれてから10日前後までの稚蚕は温度変化や病気に弱く、戸別の飼育では多大な労力を要した。このため、地域で協力し、最新の設備で一括して稚蚕を育てようと66年、同町の養蚕農家約70人が最初の組合員となって飼育所を開設した。国や県などから資金を借りた大事業だった。
飼育所のおかげで作業効率は飛躍的に向上、繭の生産量も増加し、地域の養蚕の発展に大きく貢献した。だが、80年代に入ると繭価の低下や養蚕農家の減少などから運営や維持・管理に支障が出始め、87年3月には飼育所は閉鎖、建物も取り壊された。
今回、長期の権利関係が一段落し、会計処理も終了。余剰金が出たため、会計作業に携わっていた同町の原田雅純さん(59)が記念碑の建立を提案した。
「小さいころから家の中で蚕と一緒に育った。どこの家もそうだったと思う。そういった地域の養蚕文化の証しを後世に残したかった」と原田さん。元の組合員たちも「自分たちが手掛けた文化や歴史を伝えたい」と快く賛同してくれたという。
記念碑の大きさは縦約60センチ、横約80センチ。「八幡原稚蚕共同飼育所跡 21年間に亘り養蚕の近代化に寄与する」と刻まれ、飼育所があった境内の南東の角に設置されている。