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長野・岡谷で開催 「シルク・サミット」 「草木染の色と手法」で講演

絹とかかわりの深い草木染について語る山崎さん
絹とかかわりの深い草木染について語る山崎さん

蚕糸絹業に携わる人々の情報交換や技術交流を目的とした「シルク・サミット2010in岡谷」(独立行政法人農業生物資源研究所など主催)が15~16日、長野県岡谷市で開かれた。初日の特別講演では高崎市出身の染色工芸家、山崎和樹(かずき)さん(53)が「草木染の色と手法」と題し、自身の作品を見せながら絹文化がはぐくんだ日本独特の色彩表現について語った。

山崎さんの祖父は、天然素材による染色を「草木染」と名付けた故斌(あきら)さん。父の故青樹(せいじゅ)さん、弟の樹彦(たてひこ)さんにも引き継がれ、一家で草木染にかかわってきた。自身は川崎市に工房を構え、東北芸術工科大准教授も務めている。

始めに、「多彩で澄んだ色が表現できる絹がなければ、高度に発展した日本の色の歴史は生まれなかった」とし、古代染色の代表例として紫、青、赤、黄、白、黒の順で位を定めた冠位十二階を挙げた。千数百年が経過した現代でも色が美しく保たれた宝物が多く見られ、高い技術を物語っている。

平安時代に入ると、中国から渡ってきた唐風から日本独自の文化に移り、貴族を中心に華やかな服飾が生まれた。十二単ひとえに見られる装束の重ね着で配色の妙を楽しむ かさね襲色いろめ目は植物由来の色が6~7割を占め、豊かさを感じさせる。「日本は生物多様性が飛び抜けて高く、紅葉一つ取っても実にさまざまな色がある。この四季の変化が日本人の持つ季節感や美意識につながっているのではないか」と推測する。

その後、武士の台頭に伴って独創的で斬新なデザインや技法が誕生。辻が花や友禅といった華やかな衣装が生まれた一方で、奢しゃし侈禁止令が出されると茶やねずみ色を多様化させた。


会場の一角で展示された岡谷絹工房の製品
会場の一角で展示された岡谷絹工房の製品

長きにわたって日本人の生活と隣り合わせだった天然染色は、1856年にイギリス人が合成染料を発見、さらに人工繊維の開発と相まって急激に衰退した。「それまでは素材を確保して染める工程がものすごく大変だったが、合成染料の登場でどんな土地でもできるようになり、豊かな色彩に恵まれた側面もある」と指摘する。

祖父の斌さんは伝統的な染色の復興や養蚕農家の不況対策として1929年、長野県で絹糸を天然染料で染め、紬(つむぎ)を手織りする運動を開始。翌年に東京で発表する際に「草木染」と命名した。本にまとめた原料や技法の研究成果は、全国各地で実践されている。

「草木染は葉や幹、実などいろんな部位をせんじるのが特徴。それぞれの成分が複雑なので色や風合いにかかわってくる。合成染料より彩度は低いが、柔らかで心を和ませてくれる」と締めくくった。

シルク・サミット
2001年から始まり、横浜、八王子、富岡、福島などで開かれてきた。今回は「未来へ伝えたい新たな蚕糸絹文化」をテーマに、岡谷市内の染織施設「岡谷絹工房」の取り組みや市内の小学校の養蚕体験などが報告された。会場の一角では岡谷絹工房で作られた製品も展示された。来秋には桐生市での開催が予定されている。
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