《ぐんまブランド考 魅力再発見》 世界遺産登録目指す 富岡製糸場 姿残る近代化の礎 必要な市民の後押し
- 掲載日
- 2011/07/25
群馬DCも始まり、大勢の見学者でにぎわう旧官営富岡製糸場=24日午前
富岡市の中心街の西南部。センターラインのないやや狭い道路を歩いていくと、赤れんがの巨大な建物が目に飛び込んでくる。1872(明治5)年に造られた旧官営富岡製糸場だ。 門を入って正面の東繭倉庫は南北に104メートル。同規模の西繭倉庫との間をつなぐ形の繰糸場は140メートルの長さを持ち、建設当時世界最大規模を誇った。
富国強兵、殖産興業」。明治政府の国策に沿って建てられた。日本で最初の官営模範工場として教科書にも登場する。東繭倉庫のアーチ状の通路に「明治五年」と刻まれた要石。創業当初の主要な建物がほぼ当時のままの姿で残る。
貴重な建物群を日本の近代産業発展の礎として位置付け、世界遺産登録への取り組みが始まったのは2003年。当時の小寺弘之知事が会見で打ち出した。
この発表は、富岡市民の一部に驚きを持って受け止められた。市民の間で製糸場は「当たり前すぎる風景」だったためだ。市は登録に向け、市民意識を高める必要に迫られた。
今年30回目を数えた「赤れんが写生大会」など製糸場に親しむ素地はあった。製糸場を愛する会など登録を後押しする民間の団体も生まれた。地域を学ぶ小学校の副読本にも取り上げられており、07年の暫定リスト入りで教材としての注目度も高まった。
暫定リスト入り後、年間20万人を超える観光客を集めるようになった。ボランティアの解説員養成や座繰りなどの体験型イベントの採用も進む。市製糸場課は「明治初期の建物がまだ残っていることに驚く人が多い」としながら、「もっとPRが必要」と課題を挙げる。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」について県は5月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する推薦書の原案を作成。13年以降の登録に向け、推薦書の完成度を高める作業を進める。
(富岡支局 米原守)
◎注目 石見銀山 粘り強く価値を証明
産業遺産として世界遺産登録を目指す旧官営富岡製糸場の"先輩"に当たるのが、島根県大田市の石いわみ見銀山。ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が2007年、「登録延期が適当」と勧告を出したものの、銀山が持つ価値の説明を粘り強く積み重ねていき、同年7月に「逆転登録」された。
大田市教委石見銀山課は「遺産としての価値をきちんと証明していくことが何より大切だった」と振り返る。富岡製糸の関係者にとっても参考になる言葉だ。
06年に40万人だった観光客は登録後に急増。07年が70万人、08年は80万人にまで増えた。ただ、急激なピークは過ぎ、今では50万人台で落ち着いている。
歴史的なまちなみに「古民家カフェ」ができるなど、新たな動きもみられる。市観光協会は「銀山だけでなく、大田市の観光資源を掘り起こし、点と点をつなげることが課題」と、今後を見据えている。
◎ひと言 科学の視点も大切
IHIエアロスペース総務部総務・広報グループ長
河西 英孝さん(51)=長野県下諏訪町出身
製糸場を訪れた際、繰糸機近くの小さな黒板に作業手順の指示が書かれたまま残っているのを見つけた。動いていた工場の息吹が伝わる展示だと感じた。「近代産業の発祥地」とアピールするだけでなく、もう少し別の切り口があってもいい。子供たちは機械のメカニズムにも興味がある。動力となった蒸気機関がどういうものかなど、科学の視点から製糸場に触れることができる工夫もほしい。