富岡製糸場 近代日本の礎築く
- 掲載日
- 2011/08/13
世界遺産劇場の特設ステージになる西繭倉庫前の中庭広場。歴史と音楽の"協演"が繰り広げられる
富岡製糸場は、明治政府が殖産興業を掲げて1872(明治5)年に設立した官営模範工場。フランス人技師のポール・ブリュナの指導のもと、日本の職人が技術を結集して造った巨大工場だった。93年に民間に払い下げられたが、1987(昭和62)年に操業停止するまで115年間、生糸を生産した。
約5万5千平方メートルの敷地には、繰糸場や繭倉庫2棟など主要建物が建築当時の状態で保存されている。2005年に富岡市の所有となり、同年に国史跡、06年に国重要文化財に指定された。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の中核資産として、世界遺産暫定リストに記載されたのは07年。フランスから製糸技術と工場という生産様式を日本に合った形で取り入れ、近代的な生糸の生産体制を確立。絹製品の大衆化を進めた上、日本の自動繰糸機の技術が中国やブラジルに移転したとして、県などが技術革新と世界交流の視点から世界遺産登録運動を進めている。
構造上の特色である木の骨組みとれんが積みによる「木骨れんが造り」の繭倉庫は、2棟とも長さ104メートル。中心施設の繰糸場も木骨れんが造り平屋建てで、長さ140メートル。創業時には300人で作業するフランス製繰糸器械を備え、世界最大規模を誇った。ここで製糸技術を学んだ全国の工女たちは帰郷後、富岡製糸場を模範に造られた地元の製糸工場で技術を教え、高品質生糸の大量生産・輸出につながった。
繰糸場内部は三角形を基本とするトラス構造で、柱のない空間が広がる。電気がない時代に光を多く取り入れるため、フランスから輸入したガラス窓を多用、屋根には換気用の越屋根がせり出している。昭和40年代以降に設置した自動繰糸機が残り、内部を一部公開している。
ボランティアのガイド約90人でつくる「富岡製糸場解説員の会」の関利行会長(82)=富岡市七日市=は、「製糸場が建築時の状態で現存することはあまり知られていない。県内外の多くの人に歴史や意義を知ってほしい。そうした活動の先に世界遺産登録がある」と話し、今回のイベントに期待を寄せている。