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《絹の縁むすび 上州 探訪》 埼玉県熊谷市 片倉シルク記念館 富岡と並ぶ拠点工場

昨年まで使っていた養蚕道具を手にする矢田堀さん夫妻と中村さん(右)
昨年まで使っていた養蚕道具を手にする矢田堀さん夫妻と中村さん(右)

明治から昭和にかけて養蚕、製糸業で栄えた埼玉県熊谷市。世界遺産候補、旧官営富岡製糸場を所有していた片倉工業の熊谷工場跡地には、120年に及んだ同社の製糸業の歴史を伝える片倉シルク記念館がある。

熊谷工場は、富岡工場(富岡製糸場)の閉鎖から7年後、1994年12月末に幕を閉じた。戦後の51年、国内で初めて自動繰糸機を導入した熊谷工場は、60以上あった同社の製糸工場の中で富岡と並んで先進的な役割を担った拠点工場だった。繰糸場や煙突など主要な建物は取り壊され、ショッピングセンターに姿を変えたが、木造の繭倉庫2棟が記念館として残った。

◎厚生施設も充実

メーン展示室がある本館は床面積約660平方メートル。2階建てで、明治時代に建てられた。展示室に入ると、閉鎖直前の熊谷工場の立体模型が展示してあった。これを見ると、製糸関連施設以外に診療所や社員寮、学習室があり、厚生施設も充実していたことが分かる。

選繭、煮繭、繰糸、品質検査といった繭から生糸を生産する機械もずらりと並ぶ。2階には工場生活を写真で紹介するコーナー、同社の歩みを振り返るミニシアターもあり、あらためて製糸工場の仕事を学ぶことができた。

昭和40年代に入社し、熊谷工場の変遷を見届けてきた記念館事務所の中島美由喜さんは「当時は社員が300人近くいて、繭の出荷時期は農家に回収に行くほど忙しかった」と振り返る。その上で「富岡のボランティアガイドがここに見学に来たり、逆に熊谷市民が富岡に行ったりと交流がある。富岡製糸場の1日も早い世界遺産登録を願っている」と語った。

◎蜂の巣構造

別館の「蜂の巣倉庫」は、縦穴式の繭貯蔵室が蜂の巣状に105室並ぶ珍しい構造。大量の原料繭を保管するため、65年に福島県の工場から移築したという。1階には埼玉県から寄託された回転蔟まぶしや蚕棚を展示している。

記念館を後にして、熊谷駅南の万平公園を訪ねた。ここには殺処分したさなぎを供養するため、県蚕糸業協会が61年に造った蚕霊塔が建っている。公園隣にあった県繭検定所は県蚕業試験場とともに98年に廃止され、すでに跡形もない。蚕霊塔に載った繭玉のオブジェが、億千万の繭から生糸を紡いできた地域の暮らしを伝えている。

◎受け継ぐ思い

元繭検定所所長で、ボランティアで記念館の活動を支援している飯島一さん(79)=同市下奈良=は「熊谷は荒川の伏流水が豊富にあり、鉄道の便もよく製糸に適していた。そんな糸のまちとしての歴史を若い人にも知ってほしい」と願う。

シルク記念館を見学した際、入り口付近に何本もの桑の木が枝を広げていることに気付いた。毎年夏の企画展に合わせて同館が蚕を育てており、地元の小学生も見学に訪れるという。産業としての同市の養蚕は、昨年を最後に途絶えた。けれども養蚕、製糸に関わった人たちの思いは、こうした取り組みを通して次の世代に受け継がれていくだろう。

◎片倉シルク記念館 片倉工業(東京都中央区)が、同社の製糸業の歴史を製糸機械とともに紹介。熊谷駅に近い国道17号沿いのショッピングセンター一角にある。繭倉庫2棟を改修し、記念館として無料公開。国の近代化産業遺産。火曜休館。  熊谷市本石2の135 電話048・522・4316

◎シルクなう 熊谷最後の養蚕農家 最盛期には収繭1トン

熊谷市内で最後となった養蚕農家、矢田堀房雄さん(73)と豊子さん(69)夫妻=上奈良=、中村建治さん(69)と八重子さん(66)夫妻=拾六間=は、ともに昨年限りで養蚕をやめた。

両農家とも、今年の春はる蚕ごの掃き立て直前まで続けるつもりだったという。しかし、織物業者らと提携し、一定の繭量の出荷を数年先まで契約する必要があった。このため「年齢を考えると怖くなった」と口をそろえる。

ともに最盛期の昭和後期には、蚕を年5回飼育して繭を1トン以上取った。矢田堀さんの昨年の収繭量は、春蚕と晩秋蚕の2回で約100キロだったという。

米麦10ヘクタール以上と野菜も作る矢田堀さんは「収入はわずかになっても、気持ちの上で柱は養蚕だった」、妻の豊子さんは「頑張ってきたおかげで最後に皇居の御養蚕所も見学できた。養蚕に誇りを持っていた」と振り返る。

また、中村八重子さんは「蚕を飼うことで友達ができて人間的にも成長した」と養蚕生活を総括した。

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)