《シルクカントリーin富岡製糸場》養蚕教育発祥の地 高山社跡(藤岡市高山)
- 掲載日
- 2012/03/21
近代日本の標準的な養蚕法「清温育」の発祥地である高山社跡
高山社跡は養蚕指導家、高山長五郎(1830~86年)が明治初期に設立した養蚕教育機関「高山社」の発祥地。多くの実習生が、長五郎が開発した蚕の飼育法「清温育」を学び、全国、海外にまで広めていった。
長五郎は70(明治3)年に「養蚕改良高山組」を組織し、技術改良に取り組んだ。当時は、換気を重視した「清涼育」と、炉で火をたいて蚕室の湿度、温度を管理する「温暖育」が主流だったが、両方のメリットを取り入れた「清温育」を確立。この普及拡大を目指して84年に「養蚕改良高山社」を設立した。
この技術は蚕の病気を防ぐ方法として多くの農家で取り入れられ、近代日本の標準的な養蚕法となった。
長五郎の造った蚕室は、清温育を実践するための革新的な構造といわれる。屋根の上に見られる換気のための櫓(やぐら)は3カ所。櫓の下には10畳と7畳半の蚕室があり、それぞれ湿度、温度を管理していた。
高山社跡は、長五郎が亡くなるまで居住しながら清温育の開発、指導教育を行った場所。事務所と伝習所が藤岡市中心部に移転した後は、分教場として利用された。
現存するのは、江戸末期から明治前半に建てられた母屋兼蚕室、桑貯蔵庫跡、長屋門、外便所、風呂場など。事務所や伝習所は残っていない。2010年10月、個人から市の所有となった。
母屋1階のほか、希望に応じて2階なども見学できる。公開は原則として平日(午前9時~午後4時)だが、藤岡市教委文化財保護課に事前に申し込めば土、日、祝日も対応する。
同課は「火鉢を置いた箱が残っていたり、2階の床には換気用の穴が空いており、全国に広まった清温育の特徴を見ることができる」と説明している。