《シルクカントリーin富岡製糸場》基調講演 愛しの富岡製糸場 女優・エッセイスト 星野知子さん 頑張った日本人の姿実感
- 掲載日
- 2012/03/25
「愛しの富岡製糸場」をテーマに講演する星野知子さん=富岡製糸場東繭倉庫
富岡製糸場に来たのは2度目で、前回は世界遺産の暫定リストに載った時だった。私は富岡製糸場に愛いとしさを感じる。私の故郷、新潟県長岡市は幕末の戊ぼ辰しん戦争でみんな焼け、街は復興したけれど特別にお金をかけた大きな建物はない。ところが富岡には国を挙げて造った赤れんがの建物が残り、地元の誇りを感じる。
製糸場に来ると、全国から若い女性が集まって寄宿舎で生活し、糸を引くことを一から覚え、競争しながら働いていたことを想像できる。会ったこともない昔の工女が、一生懸命生きていたと思えることがうれしい。
製糸場で働いたのは士族の娘が多かったと聞く。明治時代になって価値観が変わった。親としては新しい産業で教育してもらい、誇りを持って生きられる女性になってほしいという願いがあったのではないだろうか。賃金をもらい、休暇もあって、江戸時代とは違う女性の生き方を学べる場所。それが地方に広がった。製糸場は産業の発展以外にも意義があったと思う。 製糸場でもう一つ「いいな」と思うのは、近代産業とはいえ製糸業はもともと「お蚕」という生き物から始まる産業だということ。桑を育てることから始め、蚕を飼って繭から糸を引くというぬくもりのある産業だ。世界遺産に登録されることで養蚕や絹に全国から注目が集まるといい。
製糸場の建物を見て圧倒された。天井が美しく、工場にしておくのはもったいないと思った。西洋に追いつき、近代化へ向かおうという明治政府の意気込みが今も満ちている。1987年まで操業していながら、明治のものを残しておいたことにも驚く。古い建物でも残さねばならないと思った人がいて、それに耐えうる頑丈さがあった。
世界遺産に登録されると責任や制約も出てくる。地元では我慢しなければならないこともあるが、それでも登録されるべき価値がある。日本製品は海外で信頼されている。富岡製糸場が世界遺産になれば、「日本のルーツはここにあるんだな」と外国人が思ってくれる。
富岡製糸場が成功したのは明治政府の肩入れだけでなく、ここで一生懸命働いた人と地元の力があったから。人を育て、役割を終えた後も、古い建物を古いままに美しく残す努力をしてきた。私は西洋のまねごとでなく、一丸となって近代化に向けて頑張った日本人の姿を実感したいし、子どもたちにも見てもらいたい。
富岡に来ると世界遺産登録への熱意を感じる。観光振興だけでなく、文化や産業の分野など誇りを持っていろいろなことができると期待している。
ほしの・ともこ 長岡市出身。1980年、NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で主演デビューし、女優やエッセイストとして活躍。2006~12年2月まで文化庁・世界文化遺産特別委員会委員を務めた。