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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《シルクカントリーin富岡製糸場 絹の物語 未来へ》世界に誇る絹遺産 日本の発展に貢献

富岡製糸場と絹産業遺産群の価値を考えたシンポジウム
富岡製糸場と絹産業遺産群の価値を考えたシンポジウム
住民の愛着が必要 星野さん
知名度の低さ脱却 高橋さん
公益の精神広める 田島さん
心のつながり大事 小坂さん
語り掛ける活動を 近藤さん
「生糸生産」の模範 松浦さん

シンポジウム「世界を変えた日本の技術革新」では、女優でエッセイストの星野知子さんが基調講演し、富岡製糸場への思いを語った。続いて星野さんや住民団体代表ら6人によるパネルディスカッションが行われ、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録運動を通じた地域づくりについて意見交換した。

―富岡製糸場と絹産業遺産群の価値の柱は「技術革新」と「国際交流」の二つ。富岡製糸場と田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の4資産で構成される遺産群の世界遺産としての価値は。

松浦 製糸場が建設されて140年、その間に製糸場は世界に三つの影響を与えた。一つは、絹の大量生産で重要な役割を果たした世界からの技術導入だ。二つ目は、高山社、田島家、荒船風穴がそれぞれ協力し、年に一度しか取れなかった繭を大量生産し、生糸を生産したこと。三つ目は、戦後に自動繰糸機を導入したことで、今や世界の生糸生産の模範になっている。人間の服飾文化の向上に果たしてきた役割にも価値がある。

―4資産と関わりの深い各団体の取り組み、世界遺産登録によって世界に誇りたいことは何か。

高橋 富岡製糸場を愛する会はコンサートの開催やアンテナショップ運営、絹製品、シルクうどんの販売を行っている。活動を通じて、会員が世界遺産の価値をより深く理解して製糸場の価値を伝えていくことが重要な任務だ。

田島 ぐんま島村蚕種の会は60~70人と少ないが、桑園がなくなってしまった境島村地区に、会員自らが桑の苗木を植えるなどの取り組みを行っている。日本の歴史を見ると、旧官営富岡製糸場が日本を進歩させたことは間違いなく、島村も大きな役割を果たした。

小坂 高山社の誇りは、分教場に来た人々が清涼育と温暖育を融合させた清温育の技術を学ぶことができたということだ。高山長五郎と町田菊次郎の2人は、それだけの蚕飼育技術を惜しみなく地域に伝え、地域が豊かになることが日本の発展につながると考えていた。

長五郎は「高山社の清温育を広め、国の養蚕の生産量を高めなさい」という遺言を残した。誰にも言えないせりふだ。

―富岡製糸場世界遺産伝道師協会の現状や今後の取り組みについて聞きたい。

近藤 行政だけでは世界遺産登録を県民に語り掛ける活動はできないと考え、伝道師が発案された。当初は「国が重要文化財や史跡に指定していない場所が世界遺産になるはずがない」と言われた。

それでも製糸場でのパネル解説やチラシ配布を継続し、苦い経験をへて、伝道師がたくましく育った。本年度はパネル解説を200回行い、製糸場と絹産業遺産の素晴らしさを各地で伝えている。

星野 各団体の苦労が垣間見られる。さまざまな団体が発足し、地域や団体にはそれぞれの考え方がある。そうした中で、各団体が一つにまとまることは難しく大変なことだが、ぜひ仲良く頑張ってほしい。

―地域で盛り上げていかなければ運動が実を結ぶことは難しい。県が新たに「ぐんま絹遺産」のネットワーク化を進めている。

松浦 本県には世界遺産登録を目指している構成4資産だけでなく、養蚕や製糸、織物、流通といった絹に関連した多くの遺産が残っている。4資産だけでは群馬の絹遺産の歴史を正しく伝えることはできない。

県が進めるのは、県内の絹遺産を「ぐんま絹遺産」として登録し、ネットワーク化を図る取り組みだ。現在まで58件が登録されており、産業や地域、時代別などの情報をインターネットで発信することを考えている。

興味深い話に聞き入る来場者=富岡製糸場東繭倉庫
興味深い話に聞き入る来場者=富岡製糸場東繭倉庫

―本県には4資産のほかにも素晴らしい絹遺産がある。それらを結んでいくのが今後の重要な役割になる。

星野 もちろん一つだけでなく、四つの関連性によって広がりがある方がいい。しかし、国外の世界遺産を見渡しても、群馬のようなケースはあまりない。

国外を気にするのではなく、群馬独自のやり方で世界遺産登録を進めていく方がいい。来場者が養蚕、工場、流通を学び、絹がどんな商品となってきたのかを見学できる場所をつくることで、自己完結できるようにする工夫が必要ではないだろうか。

―市民運動の方向性が明確になった。今後の活動や取り組みは。

高橋 これからは世界遺産登録という行政レベルの話になるが、4資産と協力しながら登録を後押しし、絹遺産の価値を次世代に伝えていく。

田島 高山社の高山長五郎は学校で養蚕を教え、私の先祖の田島弥平は「養蚕新論」という本で伝えた。共通するのは、私欲に走らず、一刻も早くみんなの役に立ちたいという気持ち。公益の精神を持った2人が群馬にいたことを広めていきたい。

小坂 地元住民に高山社の価値を知ってもらう活動をさらに進めていく。世界遺産登録に向けて県、自治体、民間団体が一丸となるためにも、県には新年度中に総合的な指針を出してもらいたい。世界遺産を見据えたまちづくりを進めていくべきだ。

近藤 他の団体と活動を共にし、ノウハウを持ち寄ることで地域の活性化につなげたい。絹遺産を県民の誇りとして残していく方法を全県一区で考えていく。

―シルクカントリー群馬の輝く未来と可能性についてどう考えるか。

高橋 製糸場の西と北にあるブロック塀をなくし、美しいれんが倉庫をどこからでも見られるようにしたい。製糸場の周りに遊歩道を整備し、散策を楽しんでもらう工夫も必要だ。知名度、ブランド力が低いとされる群馬県から脱却するためにも、世界遺産登録が重要になってくる。

小坂 最近の製糸場が輝いて見えるのは、われわれの心が変わったからだ。市民の心が通じ合うことで、建物が生き返った。市民が製糸場を世界遺産にしたいと願う気持ちが大切。人の心がつながって初めて世界遺産登録が実現し、世界遺産以上の価値を生むことになる。  ―県全体としての世界遺産登録への期待や夢を語ってほしい。

近藤 子どもたちに絹遺産の価値を教え、次世代の担い手として支えてもらいたい。群馬の根幹にあった産業が日本の近代化に大きく貢献し、世界を動かしたことを誇りに思えるようにすべきだ。そのためにも、絹遺産の保存、活用を進めていく考えだ。

―世界遺産を生かした地域活性化やまちづくりに対する期待は。

星野 工女の息遣いなど、製糸場の空気の中でいろんな想像が働いたのは、製糸場に愛着ある人から説明を聞いたからだ。知識や理屈ではなく、人間味のある想像ができた。

地域住民がいかに愛着を持っているかによって、やって来る人の印象が大きく変わる。その愛情が富岡製糸場を育てていく力になる。世界の人たちに理解してもらうためにも、愛着がポイントだ。市民の愛情を引き出すような運動に取り組んでもらいたい。

―世界遺産が開く群馬の未来について総括を。

松浦 県民であれば必ず、絹遺産とどこかで関わりがある。製糸場が閉鎖された1987年当時は、誇らしげに世界遺産登録をしようと考えた人は誰もいなかった。荒船風穴は草場のようになっていたし、高山社にはまだ人が住んでおり、誰もが内部を見られるような状況ではなかった。

富岡製糸場と絹遺産群を世界に誇れるようになった時点で、未来は既に始まっているのではないだろうか。市民には身近にあるものと世界を対比しようとする心がすでに芽生えている。世界遺産登録は、ものを残すことではなく、人の営みや歴史を残すことだと考えている。協力して、ぜひ夢を実現させてほしい。

【パネリスト】
  • 星野知子さん(女優・エッセイスト)
  • 高橋 伸二さん(NPO法人富岡製糸場を愛する会理事長)
  • 田島健一さん(ぐんま島村蚕種の会会長)
  • 小坂裕一郎さん(高山社を考える会会長)
  • 近藤 功さん(富岡製糸場世界遺産伝道師協会会長)
  • 松浦利隆さん(県世界遺産推進課長)
コーディネーター
  • 内山充・上毛新聞社編集局長
富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)