世界遺産への推薦決定に寄せて 論説委員長 藤井浩 新しい絹文化創造を
- 掲載日
- 2012/07/13
待ちに待った朗報である。
文化庁が「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界文化遺産の候補としてユネスコに推薦することを決めたことで、本登録に向けて大きな一歩が踏み出された。
この機会に、プロジェクトに寄せる三つの期待と希望を述べたい。
まずは、登録を確実にするための周到な戦略である。近年、登録審査は厳しさを増している。平泉の文化遺産(岩手県)が日本の推薦遺産として初めて登録延期となった時の衝撃は記憶に新しい。これを受け文化庁などは推薦書を練り直し構成資産を絞り込んで再提出し、登録された。
本県では県世界遺産学術委員会が試行錯誤を続けてきた。今回の推薦が決まったのは、国内10候補のなかで最も準備が進んでいるとの判断からだ。英知を結集して形にした関係者の努力をたたえたい。
しかし推薦書の提出、登録の可否を決める審査はこれからだ。平泉のように予想外の厳しい評価を受ける可能性もある。資産にかかわる自治体、県、国の担当者は気持ちを引き締めて「顕著な普遍的価値」の証明に全力を挙げてほしい。
二つ目は、地元の私たち県民が絹産業遺産への理解をさらに深めることである。
世界遺産登録に向けた動きが始まったのは2003年のことだ。当初は「雲をつかむような話」とも受け止められた。が、県や富岡市などによるプロジェクトは時と人に恵まれた。富岡製糸場世界遺産伝道師協会などの民間団体による目を見張るような啓発活動により、遺産に対する県民の意識が急速に高まった。
思いもかけないこの広がりは、産業としての衰退が進み顧みられなくなっていた、絹にかかわった人々の営み、技術や身近な蚕具のかけがえのなさに、多くの人々が気づいたからではないか。
本県の地域ブランド力は全都道府県で最下位、という民間の調査結果がある。いくつかの要因が考えられるが、登録運動にかかわった人たちの郷土への思いの変化を知ると、不足していた大きな要素は、この地域への誇りと愛着だったのだとあらためて痛感する。
県が進めている「ぐんま絹遺産ネットワーク」は「絹の国」だからこその事業である。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産以外の養蚕、製糸、織物にかかわる遺産を登録し、保存・活用を図って地域振興につなげることを目的とする。地域で埋もれかけた絹の文化に光を当て、命を吹き込む活動がさらに広がるとすれば、すばらしい。
三つ目は、蚕糸業の存続につなげることだ。
絹産業遺産がクローズアップされる一方で、繭の生産量は確実に減っている。国や県の対策も目に見える効果は上がらず、半世紀前に8万戸以上あった全国一の蚕糸県・群馬の養蚕農家数は二百数十戸にまでなった。まさに消滅の危機である。
存続のために遺伝子組み換え蚕(GM蚕)の実用化による新産業創出を県が進めている。これとともに、唯一といっていい光明が、登録運動により群馬の絹文化が見直されていることだ。
世界遺産に登録されたとしても蚕糸業が失われたのでは元も子もない。多くの県民が本気でそう思い始めている。もちろん容易に危機を脱することができる状況ではない。しかし、産業として大きな発展は望めなくても、文化として生産の現場を残せないだろうか。
絹をめぐりさまざま分野の人たちの夢や理想が合流し重なり合ってきた。これにより新しい絹文化が創造され、人類の宝としての世界遺産に近づいていく、そう信じたい。