生糸の大量生産実現 明治後期に高山社と連携 富岡製糸場研究センター報告書
- 掲載日
- 2012/07/14
富岡製糸場総合研究センターの報告書
国連教育科学文化機関(ユネスコ)への世界遺産の推薦候補を決める12日の文化審議会世界文化遺産特別委で、本年度の推薦が了承された「富岡製糸場と絹産業遺産群」。この遺産群を構成する製糸場と高山社(藤岡市)が明治後期に画期的な生産連携を実現させたことを、富岡製糸場総合研究センター(富岡市)が2011年度報告書で紹介している。
論文をまとめた今井幹夫所長によると、高山社で学んだ養蚕家は明治40年代以降、生繭の共同販売組合を通じて当時、原合名会社が経営していた製糸場との取引を活発化させた。今井所長は「良い繭をつくる技術はあっても、座繰りでは質と量の面で器械製糸に太刀打ちできない。器械に転換できなかった座繰り製糸の組合員が、繭の生産・出荷に特化した」と指摘する。
地元で大量の繭を確保できるようになった製糸場は優れた養蚕家を表彰する繭品評会を盛んに行い、中でも高山社の代表らに感謝状を贈るなど厚遇。優良蚕種の安定供給を目指して外国蚕種を高山社傘下の農家に試育委託するなど、両者の結び付きは深まった。
両者は養蚕と製糸の優れた技術で連携し、生糸の大量生産を実現させた。今井所長は「養蚕と製糸の分業制が高山社と製糸場の間に実践され、技術革新だけでなく経営革新をも達成した」と評価している。
センターは2008年度に設立され、調査研究の成果を報告書にまとめている。最新の11年度版ではほかに、製糸場の首長だったポール・ブリュナが勤めたエシュト・リリアンタール商会、製糸場設立当初の労働環境についての論考を収録している。
報告書は製糸場内売店で販売。09、10年度版も在庫がある。1冊千円。