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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《富岡製糸場と絹産業遺産群 世界遺産推薦》4資産と主な絹遺産

(1)富岡製糸場
(1)富岡製糸場

【①富岡製糸場】

明治政府が1872(明治5)年、当時の主要輸出品だった生糸の品質向上と増産を目指し、フランスから器械製糸と工場建築の技術を導入して開設した。

全国から集まった工女が、最新の製糸技術を学び、帰郷後は地方で指導。製糸技術を地方に広める模範工場の役割を果たした。民間払い下げ後は高山社や田島家、荒船風穴と連携し、高品質と大量生産を両立させた。

ほぼ創建当時のまま残る建物は、日本と西洋の建築技術を融合させた瓦屋根の木骨れんが造り。木材や石材は県内から調達した。日本の近代工業の発祥地として2005年に国史跡、06年に主要な建物が国重要文化財に指定された。

(4)荒船風穴
(4)荒船風穴

【②高山社跡】

養蚕指導家、高山長五郎(1830~86年)が明治初期に設立した養蚕教育機関「高山社」の発祥地。多くの実習生がここで蚕の飼育法「清温育」を学び、国内のみならず海外へと広めた。

長五郎は70(明治3)年に「養蚕改良高山組」を組織し、技術改良を重ねた。当時主流だった換気を重視した「清涼育」と、蚕室を暖めて飼育する「温暖育」の両方の長所を取り入れ、83(明治16)年に通風と温度管理を調和させて病気を防ぐ「清温育」を確立した。

長五郎が造った蚕室は清温育のために工夫された革新的な構造で、屋根には3カ所の櫓(やぐら)、櫓の下に蚕室を設けている。清温育は近代日本の標準的な養蚕法となった。

(2)高山社跡
(2)高山社跡

【③田島弥平旧宅】

換気を重視した養蚕技術「清涼育」を唱えた田島弥平(1822~98年)が、63(文久3)年に建てた大型養蚕家屋。清涼育の考えを取り入れた家屋は、瓦ぶき総2階建て。屋根に換気用の櫓(やぐら)を設け、四方の壁に窓を設けて通風を良くした。

こうした換気構造は、弥平が72(明治5)年に著した「養蚕新論」によって全国に普及、近代養蚕農家建築のモデルになった。

旧宅は、弥平の子孫で「ぐんま島村蚕種の会」会長の田島健一さんが居住。世界遺産登録には文化財保護法による保護が求められ、国の文化審議会はことし6月、旧宅の母屋兼蚕室、桑場など約4千平方メートルの国史跡指定を答申している。

(3)田島弥平旧宅
(3)田島弥平旧宅

【④荒船風穴】

蚕種を貯蔵する"天然の冷蔵庫"。岩の隙間から吹き出す冷気を利用し、蚕種がふ化する時期を遅らせることで、それまで1年に1回しかできなかった養蚕を複数回できるようにし、繭の増産に大きく貢献した。

1905~14年にかけて、長野県境の荒船山北麓に3基造られた。蚕種を付けた「種紙」を計110万枚貯蔵する能力があり、国内最大規模を誇った。取引先は全国38都道府県のほか、朝鮮半島にまで及んだ。

当時は土蔵式の建物が石垣を覆うように造られ、冷気を閉じ込めていた。現在残っているのは石垣部分だけだが、石積みの間から天然の冷風が吹き出している。

(5)富沢家住宅
(5)富沢家住宅

(5)富沢家住宅

中之条町の大道峠の近くに残る2階建ての大型養蚕家屋。18世紀末ごろに建てられ、2階を専用蚕室とする養蚕家屋としては国内最古級とされる。 蚕室に光を取り込むため、正面を大きく切り上げた「かぶと造り」のかやぶき屋根が特徴的。2階外側のベランダ状の出梁(でばり)は、桑の運び入れにも使われた。

((10)碓氷峠鉄道施設
(10)碓氷峠鉄道施設

(6)六合赤岩養蚕農家群

江戸時代から昭和までの養蚕家屋約50戸とともに、畑や山並みも含めて昔ながらの景観が残る。1803(享和3)年の大火の教訓を生かし、火に強い土を建材とした家屋や蔵が目立つ。

2006年、県内で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

(9)旧小幡組製糸レンガ造り倉庫
(9)旧小幡組製糸レンガ造り倉庫

(7)東谷風穴

東谷山の中腹にある蚕種貯蔵施設。岩の隙間や横穴から吹き出す冷気を利用した低温保管で、蚕種のふ化を遅らせ、1年間に複数回の養蚕を可能にした。

蚕種を付けた「種紙」の貯蔵能力は10万枚といわれ、県内2位。1907(明治40)年から戦前まで使用された。荒船風穴とともに国史跡に指定されている。

(11)旧上野鉄道関連施設鬼ケ沢橋梁(12)下仁田倉庫
(11)旧上野鉄道関連施設鬼ケ沢橋梁(12)下仁田倉庫

(8)薄根の大クワ

樹齢は1500年と推定され、高さ約13メートル、幹の周囲は約6メートルと圧倒的な大きさを誇る。山桑としては日本一の巨木だ。地元住民が養蚕の神として守り抜いてきた。

1686(貞享3)年の検地では、すでに巨木だったこの桑を測量基準としたと伝わる。周辺が霜害に遭った際には、この桑の葉が養蚕に使われたこともある。

(8)薄根の大クワ
(8)薄根の大クワ

(9)旧小幡組製糸レンガ造り倉庫

養蚕農家が生産した生糸を集め、品質をそろえて共同販売した「甘楽社小幡組」の繭倉庫として1926(大正15)年に建設された。倉庫は大手門跡の隣に建てられ、北に連なる町屋地区の養蚕農家が小幡組を構成していた。現在は、甘楽町歴史民俗資料館として活用されている。

(6)六合赤岩養蚕農家群
(6)六合赤岩養蚕農家群

(10)碓氷峠鉄道施設

1893(明治26)年、横川―軽井沢間に開通した碓氷線。急勾配を日本初の「アプト式」で克服し、当時の重要な輸出品であった生糸や繭を運んだ。めがね橋の通称で親しまれている「碓氷第三橋梁(りょう)」は、他の鉄道施設とともに国の重要文化財に指定されている。

(7)東谷風穴
(7)東谷風穴

(11)旧上野鉄道関連施設鬼ケ沢橋梁(12)下仁田倉庫

旧上野鉄道は1897(明治30)年、高崎と下仁田間を結ぶ軽便鉄道として開業。富岡や下仁田地域の繭や生糸、蚕種を輸送するために建造された。

富岡市と下仁田町の境に架かる橋梁(りょう)は、長さ10メートル、幅1メートル。メートル法を用いて設計されていることから国産の鉄橋と考えられる。

倉庫はさまざまな産物の集散地である下仁田駅に隣接。1921(大正10)年に建てられた1号倉庫と、26年建築の2号倉庫がある。れんが造りの倉庫には繭商人が養蚕農家から買い取った繭を保管、繭の乾燥なども行っていた。流通の面から絹産業の発展に貢献した。

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)