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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

新町屑糸紡績所を保存 高崎市教委、国重文へ調査 所有のクラシエフーズ

クラシエフーズが保存を決めた旧官営新町屑糸紡績所の本体である紬糸工場
クラシエフーズが保存を決めた旧官営新町屑糸紡績所の本体である紬糸工場

1877(明治10)年に創業し、当時の主要な建物が現存する旧官営新町屑糸(くずいと)紡績所(高崎市新町)=豆字典=について、土地と建物を所有するクラシエフーズ(東京都港区、中嶋章義社長)は28日までに、敷地内にある30棟超の建造物を保存することを決めた。高崎市教委の基礎的調査で、紡績所本体の周辺も含めた建造物群として、歴史的、建築学的に一定の価値が認められたため。市教委は国重要文化財や国史跡の指定を視野に入れて本格調査に乗り出す構えで、文化庁と情報交換を始めた。

中嶋社長は「高崎市教委との協議や専門家の意見を検討した結果、価値のある建物や施設を残すことが当社の社会的な責任だと判断した。群馬県の人たちが誇れるような歴史遺産と近代的な設備の複合的な生産工場を目指す」と説明している。保存方針の決定で、旧官営富岡製糸場と並んで現存する近代産業遺産の同紡績所がようやく日の目を見る可能性が出てきた。

約7万9千平方メートルの敷地内には本体の紬(つむぎ)糸工場のほか、れんが倉庫、変電室など明治期を中心に昭和初期までの30棟超の歴史的建造物が現存。紬糸工場の中では一角を利用して今もアイス菓子の梱包作業が行われている。

同社は今後、保存や活用の方法について検討していく。老朽化が激しく、倒壊が始まっていたり、屋根や壁が強風で飛んで近隣に被害が出そうな一部建物については、撤去したり、基礎部分の保存にとどめる。

同紡績所の調査をめぐっては、2005年に国立科学博物館の研究員が紬糸工場や旧機械室などの主要な建物について平面図や断面図を作製し、その高い価値を報告している。

今回の高崎市教委の調査は、これ以外の原料倉庫や変電室、木工所、食堂など周辺部の19棟の基礎的データを集めた。柱や梁(はり)などの構造、材料、設計、施工の特徴を調べ、建造実体を明らかにし、建造された年代を推定。文献などに照らして価値を精査した。

富岡賢治市長は「文化庁と相談しながら、可能性があるならしっかり調査すべきだと思っている」と話している。

クラシエフーズが保存を決めたことについて、県文化財保護審議会専門委員で同紡績所に詳しい村田敬一さんは「国の文化財指定に向けて、大きな一歩と言える。富岡製糸場に引けをとらない産業遺産だから、順調に行ってほしい」と期待した。

◎価値「製糸場に匹敵」

旧官営新町屑糸紡績所は、2014年の世界文化遺産登録を目指して政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)への推薦を決めた「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成4資産には含まれていない。しかし、専門家の調査で「富岡製糸場に匹敵する価値がある」とされ、県が世界遺産登録運動初期の2006年に世界遺産有力候補として掲げた13件には含まれていた近代産業遺産だ。県教委によると、文化庁も歴史的な価値を認識しているという。

ただ、稼働中の食品工場内にあり、06年の市町村合併直後の 高崎市との調整が難航したことなどから、翌07年、絹産業遺産群が世界遺産の 国内候補として暫定リスト入りした際の構成資産には含まれなかった。

県はその後も、市やクラシエフーズ側に貴重な遺産の保護を呼び掛け、昨年度から始めた「ぐんま絹遺産」の登録を目指している。世界遺産推進課は「絹産業遺産群の世界遺産登録ができていない中、新町紡績所の追加登録は先の話」とした上で、「クラシエが紡績所の保存活用を決めて良かった。世界遺産は保存された遺産を活用するもので、残っていない遺産は対象外。次は文化財指定へと段階を踏んでいく」と、遺産保護への一歩を踏み出した意義を強調した。

豆字典
旧官営新町屑糸紡績所 殖産興業政策を進める明治政府が1877年に創業。富岡製糸場などの製糸工場から出る屑糸や製糸できない屑繭を紡績して絹糸を生産していた。国立科学博物館の調査報告では、「日本人技術者が基本構想の段階から造り上げた日本人による最初期の近代工場と位置づけられる」としている。三越呉服店、鐘淵(かねがふち)紡績などに引き継がれ、現在はクラシエフーズが所有する。

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