《探訪 ぐんま絹遺産》藤岡 絹市の街に豪商 足跡
- 掲載日
- 2012/11/27
江戸の豪商、三井家から奉納された常夜燈
富岡製糸場と絹産業遺産群の構成資産の一つで、先進的な蚕飼育法の発祥地「高山社跡」(同市高山)がある藤岡市。今月、「ぐんま絹遺産」に追加登録された市内の史跡や建造物8件のうち、5件を巡った。
◎4資産が集中
最初に訪ねたのは、中心街近くにある諏訪神社(同市藤岡)。ここには追加登録の4資産が集中している。黄色く染まったイチョウで彩られた境内に入ると、セットで登録された2基の常夜燈(とう)と手水(ちょうず)石が目に飛び込んできた。
常夜燈には「天保二年」と「三井店」、手水石には「安政四年」の文字が刻まれている。同神社などによると、江戸中期から絹市が盛んだった藤岡は、江戸や京都、近江などの豪商が生糸や絹織物を買い求めて訪れた。こうした縁から江戸の豪商、三井家が神社に奉納したという。
神社には、神輿(みこし)として初めて登録された「諏訪神社宮神輿」2基が保管されており、これも三井家が1780(安永9)年に奉納したとされる。担ぎ手不足により表舞台から遠ざかっていたが、ことし7月の藤岡まつりでは4年ぶりに街中を練り歩いた。一般公開していないため、見学することはできなかった。
神輿を管理する同神社御神輿保存会の堀正昭会長(71)は「世界遺産登録が実現すれば、絹遺産への注目も高まる。担ぎ手不足の問題は残るが、地域伝統の神輿をしっかりと継承していく」と決意を語る。
3、4件目は境内にある「高山長五郎功徳碑」と「町田菊次郎頌徳(しょうとく)碑」。養蚕業に功績を残した先人を大切にする地域の思いを感じた。
「養蚕が再び注目されれば菊次郎も報われる」と話す町田英子さん
◎名残感じる櫓
神社を後にして町田菊次郎生家(同市本郷)へ。菊次郎(1850~1917年)は長五郎の没後に高山社社長を務め、日本最初の養蚕学校を創立した。登録されたのは母屋や桑場などで、屋根に残る四つの櫓(やぐら)が養蚕の名残を感じさせる。
同家で暮らす菊次郎のひ孫にあたる町田英子さんに、菊次郎の写真や蚕飼育日誌など貴重な資料を見せてもらった。町田さんは菊次郎について「誰にでもご飯を振る舞うような豪快な人だったと聞いている」と教えてくれた。町田家でも昭和40年ごろまで養蚕を営んでおり、「今は桑畑も養蚕業も消えつつある。養蚕が再び注目されれば、菊次郎も報われる」と感慨深そうだった。
世界遺産登録に向けた動きが活発化する中、絹の文化を支えた証しとして地域に新たにぐんま絹遺産が誕生したことは、住民の誇りをも育んでいるように感じた。
(文化生活部 広沢達也)
第4火曜日掲載
並んで建つ「高山長五郎功徳碑」(手前)と「町田菊次郎頌徳碑」
【シルクトピック】養蚕の歴史 紙芝居で 「まゆダーマン」が紹介
藤岡の養蚕の歴史を伝えている市民団体「上州ふじおか絵巻の会」(富岡智子会長)は、ゆるキャラ「まゆダーマン」を登場させた紙芝居を使って子どもたちに分かりやすく養蚕について紹介している。
市内の有志が07年に結成。紙芝居「まゆダーマンの『養蚕改良高山社』」の上演会を市内外で開いている。同会が作ったまゆダーマンは、蚕の顔をかたどったヘルメットを被り、体は繭の白、手足は桑の葉の緑色をしたヒーローだ。
紙芝居には、先進的な蚕飼育法「清温育」を開発した高山長五郎、日本初の蚕業学校を創立した町田菊次郎らが登場。愛嬌(あいきょう)いっぱいのキャラクターと分かりやすいストーリーで高山社の功績を解説している。
富岡会長は「お金のためではなく世の中の幸せを願った長五郎の精神と、志を持つことの大切さを伝えていきたい」と話している。
紙芝居の問い合わせは富岡会長(TEL:090・8857・1713)へ。
「子どもたちに養蚕や高山社について知ってもらいたい」と話す富岡会長
藤岡まつりで街中を練り歩いた「諏訪神社宮神輿」=ことし7月