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《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第1部 文化の継承》(4)住民団体の高齢化 幅広い連携模索 平均60代後半

境島小の子どもたちに島村の歴史を説明する田島信孝さん(右)
境島小の子どもたちに島村の歴史を説明する田島信孝さん(右)

利根川の南、埼玉県本庄市と深谷市に囲まれた伊勢崎市境島村地区。蚕種(蚕の卵)の大産地として栄え、屋根に通気用の櫓(やぐら)を載せた大型養蚕家屋群が残る。この地区の象徴とも言える田島弥平旧宅で今月25日、地元の境島小の子どもたちを交えて防火訓練が行われた。

◎貴重な"新人"

訓練に先立って住民団体、ぐんま島村蚕種の会の田島信孝さん(65)が子どもたちに地域の歴史について解説した。「今の自動車みたいに、幕末には蚕種がお金を稼ぐ花形の輸出品だった。島村まで千両箱が運び込まれ、そのお金で大きな養蚕農家が次々に建てられたんだよ」。田島さんは定年退職した昨年、島村に戻って会に加わった貴重な"新人"だ。

県が2003年に世界遺産登録運動を始めると、各地で住民団体が生まれた。主力の多くは養蚕、製糸、織物業を支えてきた世代。時間の経過とともに、会員の高齢化という悩みは深まっていく。どう組織の新陳代謝を図り、"体力"を維持していけばいいのか。

「島村の豊かな歴史を後世に伝えたい」。県の世界遺産運動に同調し、住民有志が会を結成したのは05年。会長には弥平旧宅の当主、田島健一さん(83)が就いた。以来、地域の写真集を刊行して写真展を開催。行政に養蚕家屋群の保存調査を働き掛けたり、弥平旧宅近くに見本桑園も整備した。こうした地道な活動は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産に弥平旧宅を加える大きな原動力になった。

会の事務局を務める関口政雄さん(80)は、2001年から同小で養蚕教育に協力してきた。現役時代、県蚕糸課長を務めた会で唯一の「養蚕のプロ」。本年度も3、4年生に春蚕(はるご)の掃き立てから収繭、産卵までを指導した。

しかし、昨年11月、同小の座繰り体験教室に関口さんの姿はなかった。体調を崩して入院してしまったためだ。「授業を続けるのは難しいかもしれない」。自宅で療養する関口さんの口から、ふと弱音が漏れる。

◎平均60代後半

会の結成から8年。地区では少子化と高齢化が同時に、しかも急速に進む。65歳以上の人口比率(昨年4月)は市平均で20・56%だが、島村地区は31%を超えている。20年前に比べて人口は約2割減り、1300人を割りそうな状況だ。現在の会員は67人で平均年齢は60代後半に達した。狭い地域の中で、若い会員を増やしていくことは容易ではない。

会のもう1人の事務局、栗原知彦さん(71)は「蚕種の会だけの運動では限界がある。幅広く地域団体との連携を強めていきたい」と打開策を探る。大きな目標に向かって走り続けてきた会にとっては、まだまだ道半ば。前進の速度を緩めるわけにはいかない。

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