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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第1部 文化の継承 》(7) 生糸のまち 語り継ぐ記憶の灯

「富岡製糸が世界遺産になることはうれしい。でも
「富岡製糸が世界遺産になることはうれしい。でも"遺産"という響きは忘れ去られた感じがして寂しい」と語る栢野会長

富岡、伊勢崎、藤岡、下仁田―。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産を抱える市町に、前橋は入っていない。かつて製糸工場が建ち並んだ「生糸(いと)のまち」だが、その面影を見つけることが難しくなって久しい。こうした中で、市民は世界遺産登録運動とどう向き合えばいいのだろうか。

◎高級品の代名詞

前橋市朝日町の住宅街に小さな撚糸(ねんし)工場、栢野(かやの)撚糸がある。「絹を終わりにしたくない」。会長の栢野敬二さん(84)は、その強い思いで時代に翻弄(ほんろう)されながらも明治から続く会社を守ってきた。だが、絹産業の衰退に歯止めはかからず、リーマン・ショック以降は一段と仕事が減った。4代目社長の弘之さん(52)は「将来を展望するのは難しい」と自身の代で区切りを付けるという。

江戸時代から繭、生糸の集散地として栄え、県都の礎を築いた前橋。日本初の洋式器械製糸として、藩営の前橋製糸所が創業したのは富岡製糸場に先駆けること2年、1870(明治3)年のことだ。

前橋産の生糸が海を渡ると、やがてヨーロッパの商人の間で「マエバシ」は高級品の代名詞になった。長く日本の絹をけん引したが昭和後半以降、外国産の安い輸入生糸に押されて勢いを急速に失っていく。

◎純群馬で突破口

こうした逆風の中、奮戦する人がいる。創作きもの「にしお」社長、西尾仁志さん(64)=同市日吉町=だ。西尾さんは03年、一つの試みを取り入れた。市内の養蚕農家に呼び掛けて作った県産繭を碓氷製糸(安中市)で糸にするという、純群馬産生糸の活用だ。この生糸は、品質にこだわる全国の染織作家の評判を呼んだ。西尾さんは「前橋で絹を扱ってきた者として、地元の蚕糸業を残したかった」と愛着を語る。

だが、この取り組みも時代の波にあらがう力にはならない。かつて製糸工場を経営していた丸山洋一さん(68)=同市小神明町=は、市民の間で絹の記憶が薄れていくことを危ぶみ、こう呼び掛ける。「前橋が最高のシルクを作り、一時代をリードしたことは市民の誇り。それを知る人がきちんと伝え、発信していかなければならない」

今も「生糸のまち」の灯を守る人がいる。そして絹産業に携わった人は大勢いる。その歴史の証人たちが、孫だったり、近所の人たちに語り継いでいくだけでも、世界遺産登録運動を支える大きな力になる。候補の資産を持つのは県内35市町村のうち4市町。それ以外の県民の意識のあり方こそ、今後ますます大切になってくる。

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)