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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《ふるさと人物帳(111)》韮塚直次郎(富岡)富岡製糸場建設で資材調達 職人結束に手腕発揮 

大勢の見学者が訪れる富岡製糸場。直次郎は瓦やれんがなどの資材調達を指揮した
大勢の見学者が訪れる富岡製糸場。直次郎は瓦やれんがなどの資材調達を指揮した

世界文化遺産登録を目指す富岡市の旧官営富岡製糸場。ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合した世界最大規模の製糸工場は、板ガラスやペンキなどをフランスから輸入したものの、主な建築資材は地元で調達した。韮塚直次郎は、れんがや瓦、土台石製造の責任者として和魂洋才の大工場建設に関わった。

直次郎は現在の埼玉県深谷市に生まれ、農業と油業に携わっていた。富岡製糸場の初代工場長の尾高惇忠とは同郷に当たり、実家が貧しかったため19歳のころから数年間、尾高の家に仕えたこともあった。

製糸場建設を任された尾高は、直次郎を富岡へと呼び寄せる。直次郎は大勢の瓦職人をまとめ、フランスからのお雇い外国人の指導を受け、れんがや瓦の製造を始めた。富岡製糸場総合研究センターの今井幹夫所長は「直次郎は建築の専門家ではないが、大勢の職人を束ねる力があった。尾高は共に暮らし、大きな仕事を任せられる人物と見抜いた」と指摘する。

市内の龍光寺に尾高が文面を記した直次郎の生前供養碑がある。「生まれつき勤勉で倹約」「顔かたちは壮大で腕力は人一倍優れている」「瓦・れんが製造運搬を任せたが、俸給の多少を一切言わなかった」―。直次郎の人柄を高く評価していたことがうかがえる。

製糸場が1872(明治5)年に操業すると、直次郎は製糸場内の食堂のまかない方となって働き、76年には製糸場近くに器械製糸所を設立したと伝えられている。製糸場には全国から工女が集まったが、特に滋賀からの工女が多い。直次郎の妻で、彦根藩士の娘だった美寧(みね)が故郷で工女募集をしたためと考えられる。

直次郎の子孫は今も製糸場近くで暮らす。玄孫にあたる昌之さん(61)は「直次郎が富岡に来たころ、この辺りにはあまり人家がなく、身銭を切って長屋を整え、職人を住まわせたと聞いています」と話す。

明治20年代の郵便局の町図によれば、製糸場周辺には直次郎の持ち家がいくつもあったとされる。今井所長は「富岡で大成して財をなした。裏方ではあったが、富岡製糸場や町の発展に大きな貢献をした人物の一人」とたたえている。

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)