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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

シルクカントリーの未来 シルクカントリー双書発刊イベント 先人が築いた絹業 蚕糸次代へ伝える

泉太郎さん
泉太郎さん

シルクカントリー双書(全10巻)の発刊記念イベント「シルクカントリーの未来」(上毛新聞社主催)が、前橋・上毛ホールで開かれた。県立女子大准教授の新井小枝子さんの基調講演やシンポジウムを通して、世界文化遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」と一緒に蚕糸・絹業を未来に引き継いでいく方策を考えた。

▼パネリスト

高木賢さん
(大日本蚕糸会会頭)
松浦利隆さん
(県世界遺産推進課長)
泉太郎さん
(泉織物社長)
新井小枝子さん
(県立女子大准教授)

▼コーディネーター

藤井浩・上毛新聞社論説委員長


第2部のシンポジウム「『シルクカントリーの未来』を語る」では、パネリスト4人が、絹産業と絹遺産を総合的に捉え、守っていく大切さを語った。

新井小枝子さん
新井小枝子さん

◎近代化遺産の半数が絹関係

―ユネスコに「富岡製糸場と絹産業遺産群」の推薦書が提出され、世界遺産登録が現実味を帯びてきた。一方で県内の養蚕、製糸業は依然としてきわめて厳しい。

高木 昭和初期、日本の輸出額の半分は生糸だった。しかし、1929年の世界大恐慌で輸出が激減。戦後に回復したが、その後、化学繊維のナイロンに代わり、さらに安い中国生糸の攻勢にさらされた。全国の養蚕農家は現在600戸で、繭生産量は200トン。このままではいけない。

松浦 県は90年に全国初の近代化遺産総合調査を行った。対象の約1200件のうち、半数弱が絹産業関係の遺産だった。2003年に富岡製糸場の世界遺産登録運動が始まり、製糸場を支えた養蚕業とその先の織物業も加えたいと考えた。製糸場と養蚕業があって、日本の近代を切り開く技術革新ができたことを推薦書でも記している。

世界遺産の中で蚕糸業が生きていることが面白いし、生きている産業があるからこその世界遺産ではないか。イギリスの綿紡績や石見銀山(島根)はすでに生産していない。本格的な工業遺産で、蚕糸業が続いていることに計り知れない価値がある。

松浦利隆さん
松浦利隆さん

◎いい糸から着物を発想

―泉織物は明治40年に創業した。着物の魅力は。

泉 桐生織物は1300年の歴史があるが、着尺機屋は うちだけになってしまった。ただ、近年は着物を自分のために着る人が増えており、ファッションとして人を華やかにする 着物を作りたい。いい絹糸を見ていると、いい着物の発想が湧いてくる。桐生で着物を作り 続けるのは、群馬のいい絹糸があるからだ。

―新井さんの実家は養蚕農家をしていた。記憶に残っていることは。

新井 桑入れのかごを背負った祖母の「腰が痛い」「嫌になっちゃったよ」という言葉が一番の印象。一方で夜、桑やりに行った祖母が朝、布団の中で繭を作った蚕を見て「私がつぶさなくてよかった」と話したことも強く記憶に残っている。

―養蚕を守るために国の緊急対策も行われている。

高木 中国糸と国産糸は価格差が4倍もある。そのため価格ではなく、品質で勝負して需要を確保することが最大の問題だ。日本独自の製品を作ることで、値段は高くても、価値を認めて使ってくれる人を増やす戦略で、国産の繭、生糸を使った絹製品作りと販売促進に力を入れたい。

希少価値で需要を確保するため、蚕糸・絹業提携支援の緊急対策事業ができた。08年度から国が35億円の基金を作り、毎年取り崩しながら、純国産絹製品作りを開始。農家から製糸、機屋まで一貫したグループを作り、純国産絹製品を販売する56グループができている。

高木賢さん
高木賢さん

◎日本の風土に根ざした文化

―そもそもなぜ、日本の蚕糸業を残さないといけないのか。

高木 日本の蚕糸絹業は世界に冠たるもの。中国から入ってきたが、日本独自の発展を遂げた。衣類の中でも着物は芸術品であり、繭から生糸、製品まで産業として存在してこそ文化といえる。フランスやイタリアはかつて養蚕をしていたが今はない。日本の風土に根ざした蚕糸絹業は貴重だ。

松浦 富岡製糸場を訪れた外国人が「蚕はどこで飼っているのか」と聞いてきた。養蚕からの作業過程をビデオではなく、現実に見せることができれば、製糸場が果たした意義がより深く分かる。現在の蚕糸業はアイドリング状態だが、将来復活できるかもしれない。絹は世界 最高の繊維であり、その生産 技術をなくしてはいけない。

新井 農家は蚕を精神的な生き物としても捉えていたはず。富岡製糸場の建物と歴史は素晴らしいが、養蚕農家の精神文化まで含めて考えることに世界遺産登録運動の意義がある。

泉 桐生の機屋も後継者不足に悩んでいる。全国で機屋が廃業する中、泉織物では県オリジナル蚕品種「ぐんま200」を使っている。綿の着物も作ったが、風合いや着心地など絹にはかなわない。絹は気持ちを華やかにしてくれる。

シンポジウムに聞き入る来場者。着物姿も見られた
シンポジウムに聞き入る来場者。着物姿も見られた

◎歴史の理解に養蚕は不可欠

―蚕糸絹業の振興は行政の取り組みだけでは成り立たない。

高木 地域振興の視点があっていい。遺産というと、残されたものというイメージがあるが、そうではなく、未来に残す資産と捉えるべきで、群馬の蚕糸業も残し、活用していくべきだ。世界遺産登録を機に、富岡製糸場の来場者に養蚕農家や碓氷製糸など貴重な蚕糸業を見てもらってはどうか。

泉 日本一の生糸産地として世界に発信できたらいい。そのためにも蚕糸業が残らないと困る。絹は日本人に脈々と受け継がれているものだが、子どもの教育であまり取り上げられていない。絹の歴史をしっかり教えることで、着物を着てみたいと思えるようになるのではないか。

新井 養蚕言葉を研究している立場から言うと、養蚕が生活を支えていた時代があり、自分の祖先が関わってきた歴史がある。そうした歴史を理解する上でも養蚕は維持すべきだ。

松浦 絹文化は、一方的な補助金では残らない。あくまで生活に根ざしたものでなくてはならない。世界遺産という文化的価値をうまく使って絹製品の需要を喚起できる方策を考えたい。

高木 需要は着物だけに限らない。絹のネクタイ、靴下や寝具などでもいい。絹関係者を応援するため、何か一つみんなが使ってほしい。絹を生活に組み入れることが必要だ。群馬の蚕糸業を残すため、国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産への登録も提案したい。

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)