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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第2部 保存と活用 》(1)富岡製糸場の宝 生産法の復元が鍵

富岡製糸場で初の本格的な保存修理工事が予定されている西繭倉庫内部(非公開)
富岡製糸場で初の本格的な保存修理工事が予定されている西繭倉庫内部(非公開)

西洋から入ってきた「木骨れんが造り」に日本瓦を使った和洋折衷の巨大繭倉庫。旧官営富岡製糸場を象徴する東西2棟の倉庫は、長さが104メートルある。東繭倉庫はイベントや展示スペースとして活用されているものの、天井にしっくいが残り、はがれ落ちる危険性がある西繭倉庫は内部が公開されたことがない"開かずの間"だ。

◎100棟以上残存

場内には明治から昭和にかけて建設された100棟以上が残存している。しかし、1872(明治5)年完成の繭倉庫をはじめ耐震性が不十分な建物が多く、見学できるのは全体の2割ほどにすぎない。「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成する4資産の中核施設であり、製糸場の多様な魅力を余すところなく伝えるためにも早期の全容公開が待たれる。

富岡市は施設全体の公開に向け、2012年度に整備活用計画をまとめた。計画期間は30年。だが、文化財の価値を守る整備だけで100億円以上との試算があり、活用策を盛り込むと費用はさらに膨らむ。計画は「保存、発掘調査の進展、財政状況等を勘案しながら具体的な年次計画の策定に取り組む」としており、30年後の整備完了を約束したものではない。

計画では、まず5年後を目標に西繭倉庫を耐震補強した後、東繭倉庫を修復する予定だ。とはいえ明治の木骨れんが造りの補強技術は確立しておらず、鉄骨を使うにもれんがや地下の遺構を傷付ける恐れがある。「れんが一つでも後世に残したい貴重なもの。建物を補強するために、何を失うかも考えなければいけない」(市富岡製糸場課)。

「創業時から同じ仕事が継続され、現存する140年前の工場は世界的に見ても希少」。専門家から、製糸場はこうした高い評価を受けている。1987(昭和62)年の操業停止時のまま残っている機械設備も貴重な宝だろう。産業遺産の場合、現状保存に加え、生産システムをいかに復元できるかで付加価値が大きく変わってくるからだ。

◎繰糸機を再生

整備活用計画では製造工程を分かりやすく見せるため、機械も可能な限り動態展示する方針が示された。鍵を握るのが製糸工場の心臓部といえる繰糸機の扱いだ。現在、繰糸所に残る自動繰糸機は規模が大きすぎる。このため、市は副蚕場でコンパクトな繰糸装置一式を再生し、製糸作業を再現したいと考えている。

製糸場整備活用委員会の委員長を務めた京都女子大教授、斎藤英俊さん(建築史)はこう指摘する。「そもそも建物が大きすぎるために活用は困難。だからこそ、この非日常の空間を生かすことができれば極めて特色のある施設になる」。生糸生産における技術革新の中心であり続けた巨大工場をどう守り、公開していくか。建造物の見学にとどまらず、来場者を引きつける施策を打ち出せなければ富岡製糸場は産業遺産としての輝きを失うことになる。

◇   ◇

生産現場としての役割を終え、県内各地に残る養蚕、製糸、織物に関わる絹産業遺産。その保存と活用には技術やコストを含め、多くの壁が立ちはだかる。遺産が持つ価値を最大限に生かし、後世に伝えていくための課題を探る。

(次回から社会面に掲載します。)

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