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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第2部 保存と活用 》(2)子孫暮らす弥平旧宅 待たれる資料公開

田島弥平旧宅を訪れた人たち。生活空間でもあるため通常、見学範囲は庭までに限られる
田島弥平旧宅を訪れた人たち。生活空間でもあるため通常、見学範囲は庭までに限られる

伊勢崎市福祉交流館しまむら(同市境島村)の一角に昨年12月、田島弥平旧宅案内所が設けられた。4月からスタッフは2人となり、週末祝日も開所する態勢がようやく整った。世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つ、弥平旧宅を知ってもらう取り組みの一歩だ。

◎見学は庭まで

明治初期に技術書「養蚕新論」を著し、換気を重視した「清涼育」を唱えた弥平の旧宅には現在、子孫の田島健一さん(83)と家族が暮らす。このため、通常は「見学可能範囲は庭まで。建物内部への立ち入りはご遠慮ください」(市製作リーフレット)との制約がかかる。

4月、団体見学者の一人が、旧宅の軒先を飾る頼山陽の扁(へん)額「遠山近水村舎」を見つけて駆け寄ろうとした。「解説はちょっと離れた所でします。ここは生活空間ですから、大きな音はたてないで」。案内する地元の住民グループ、ぐんま島村蚕種の会会員も健一さん一家の平穏な暮らしに細心の注意を払う。

清涼育確立の舞台であり、養蚕家屋の原型となった弥平旧宅は上棟された150年前の姿を現代に伝える。その特徴は換気機能を持つ屋根の上の総櫓(やぐら)だ。櫓下の廊下は幅1・8メートル、全長25メートル。だが乗降の危険性などを考慮して昨年10月、国史跡指定を記念した特別公開でも櫓部分は開放されなかった。

◎3000点超未整理

旧宅2階の養蚕室には、清涼育を広めた「養蚕新論」の版木(市指定重要文化財)をはじめ、貴重な文献や 資料が段ボール二十数箱に詰まったまま。イタリアまで蚕種(蚕の卵)の直輸出に行った蚕種会社、島村勧業会社の 田島啓太郎がヨーロッパから持ち帰った顕微鏡も現存する。これらの貴重な 資料のうち目録化されたのは2千点余りにすぎず、3千点以上が未整理で眠っている。

「国史跡指定を最優先したため、現地調査に不十分な点があった。総櫓の窓部分がトタンでふさがれているなど改築箇所がある。建築当初の土台の石積みを確認する発掘作業も必要になる」(市教委文化財保護課)。市はこの夏にも、田島弥平旧宅調査整備委員会を発足させ、5カ年かけて整備活用計画を策定する。発掘調査や家屋の調査も並行して行う計画だ。

「健一さん自身が蚕種業に関わってきたからこそ総櫓付きの建物が受け継がれ、養蚕新論の版木などもきちんと守られてきた」。県世界遺産推進課長、松浦利隆さんは旧宅と旧宅が所蔵する資料の価値を強調する。

個人所有の生活の場という制約の中、弥平旧宅と貴重な資料をどう活用していくのか。外観を公開しただけでは伝えきれない旧宅の歴史的価値、さらに弥平の功績を説明するためにもまず資料の公開が待たれる。

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