《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第2部 保存と活用 》(5)桐生・重伝建とのこぎり屋根 観光誘客の鍵握る
- 掲載日
- 2013/04/24
大谷石造りで重厚な外観の旧曽我織物工場。観光の核としての活用が期待されている
桐生市の本町通り北部。路地を西へ50メートルほど入ると、ひときわ目を引く大谷石造りで5連ののこぎり屋根の建物、旧曽我織物工場がある。倉庫として借りていた会社が先月引き揚げ、今は使われていない。織物業の隆盛を伝えるこの建物を今後、どう活用するのか。重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の観光誘客の鍵を握る存在として注目されている。
◎創業者の魂
この大正時代の建物を所有する曽我嘉子さん(84)=本町1丁目=は62年前に嫁いだ時、「戦争で供出した織機は122台。個人の機屋では桐生で1、2を競った」と家業の規模を聞かされた。戦後、再び織機を入れたが、やがて業種を転換、木造の工場を壊した。唯一残ったのがこの石造りの建物で、「夫が死んでも、創業者の祖父の魂として守ってきた」。
飲食店などいくつかの出店打診があったが条件が折り合わず、使い道は白紙。昨年の重伝建選定を受け、対象の建物の復元や現状維持には最大800万円の補助金が交付されるが、営業店として整えるには、古い建物だけに慎重な対応が求められる。
だが、165坪という広さ、石造りの風格は魅力十分。重伝建の観光アピールを図る市や商工会議所は、醸造蔵群をイベントスペースとして活用している有鄰館に次ぐ集客施設になるものと期待をかける。曽我さんも「まちが生きる形で使ってほしい」と願う。
市内に残るのこぎり屋根工場は約200棟。30年ほど前に工場を織機の展示・体験施設へ衣替えし、残る工場で製品を織る森秀織物(東4丁目)や、帯製造の後藤(東1丁目)は業種維持の貴重な例だ。小規模工場は、住宅とつながって外部に貸し出しづらい状況からか、廃業して休眠状態、あるいは倉庫となっている例が多い。
◎屋台や鉾も
業種を変えて活用されている例では、アトリエ、カフェ、美容院、ギャラリーなどがある。2年前に境野町で廃工場を工芸教室兼ギャラリーカフェの「INOJIN工芸?楽部(くらぶ)」として生まれ変わらせた井上弘子さんは「点在しているため、観光客は回りづらい。コースづくりとか、案内人を設けるとか、工夫が必要」と今後の可能性に触れる。
桐生に残る絹遺産は、のこぎり屋 根だけではない。織物の繁栄に支えられ、本町の6町会が古くは幕末から 所有する桐生祇園祭の屋台、鉾(ほこ)(山車)に注 目する人も少なくない。祇園祭に詳しい郷土史家、奈良彰一さん(66)=宮本町=は「普段お蔵入り しているこれらの遺産を一堂に公開する場が欲しい」と訴える。
「重伝建はゴールではなくスタート」(亀山豊文市長)を掲げ、歴史を生かしたまちづくりを進める市にとっても、絹遺産の活用は地域の命運を握る課題だ。