《ひと紡ぎ まち紡ぎ・・・絹遺産と歩む・・・第2部 保存と活用》(6)現役工場 新町屑糸紡績所 往時の素顔 公開を
- 掲載日
- 2013/04/25
創業時の状態が良く残る旧官営新町屑糸紡績所の北側壁面。工場として稼働させながら残していくことが決まっている
「歴史的価値は富岡製糸場に匹敵する」と、たたえられてきた旧官営新町屑(くず)糸紡績所(高崎市新町)。クラシエフーズ新町工場として、今もアイスクリーム製造に使われている。文化財の指定は受けていないが昨年、保存・活用に向けて歯車が動き始めた。
◎国重文目指す
クラシエフーズ(旧カネボウ)が創業期の板張り外壁やトラス構造が残る中核施設、旧紡糸工場を製造現場として活用しながら保存することを決めたのは昨年9月。これを受けて高崎市教委は本年度、増改築を繰り返した紡糸工場を本格調査し、改築の変遷や建物の価値を報告書にまとめる。その後に見据えるのは、国史跡や国重要文化財の指定だ。
「国内有数の古い工場だが家と同じで使った方が維持できる。色濃く残るカネボウ時代の伝統、文化を若い人に伝える象徴として保存していく」。グループ持ち株会社、クラシエホールディングスの石橋康哉社長(57)は、稼働させながら残していくことの意義をこう説明した。旧紡糸工場にはお汁粉など冬物ラインを設け、6月にも稼働させるという。
新町紡績所が開業したのは、富岡製糸場の創業から5年後の1877(明治10)年。製糸場から出る大量の屑(くず)繭、屑糸などから絹糸を紡ぐため、国内初の木造紡績工場として明治政府が創設した。
◎「核になる施設」
87年に三井家に払い下げられた後、鐘淵(かねがふち)紡績などを経てクラシエフーズに引き継がれた。約7万9千平方メートルの敷地に旧紡糸工場本体のほか、れんが造り製品倉庫、ボイラー室、機械室、変電所といった明治から昭和初期の建物が残る。
同社は紡糸工場と周辺を保存していく方針だが、食品製造という工場の性質上、見学者に対する公開については制約がある。かつては地元の住民グループ、よみがえれ!新町紡績所の会(片桐庸夫会長)を通じて団体の予約見学を受け入れてきたが、ライン設置工事と敷地脇の護岸工事のため昨年から見学の機会は失われたまま。今後も白紙の状態のため、片桐会長(64)は「稼働部分は非公開で仕方ないが、創業時の柱やくぎが分かる場所は見たい」と要望する。
県教委の近代化遺産総合調査(1990~91年)で、専門家の間で早くから歴史的価値を認められた屑糸紡績所。「富岡製糸場が金閣なら紡績所は銀閣とされ、本来なら絹産業遺産群の核になる施設。製糸場の世界遺産登録後に加えられるよう追加申請してほしい」と片桐会長は市と県に期待する。
稼働中の食品製造工場と、そのルーツである明治の絹産業を担った屑糸紡績所。新しさに隠れた古い素顔をどう見せていくのか。その価値を広く伝えていくためにも、関係者の知恵が求められている。