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「富岡製糸場と絹産業遺産群」Web

《平成今昔 四半世紀を経て(8)》存続の瀬戸際 養蚕業 世界遺産で再び注目

桑の葉の収穫作業。当時の県内の桑園面積は1万6300ヘクタール。現在の約30倍あった=県蚕糸技術センター
桑の葉の収穫作業。当時の県内の桑園面積は1万6300ヘクタール。現在の約30倍あった=県蚕糸技術センター

緑色の桑の葉の上で真っ白な蚕が懸命に体を動かしている。「食欲が旺盛で気持ちいいよね。しっかりした繭ができるんじゃないかな」。前橋市小坂子町で年間2トンの繭を生産する、JA前橋市養蚕連絡協議会長の糸井文雄さん(72)が目を細める。

本県は養蚕と生糸生産が盛んで、上毛かるたには「繭と生糸は日本一」の札がある。だが、着物離れによる生糸需要の低迷や、安価な輸入生糸の流入が業界を直撃。1989(平成元)年の繭生産量は7602トンと、戦後ピークだった68年の2万7440トンの3割以下に落ち込んでいた。

それでも、89年は天安門事件に伴う中国製生糸の輸出減や絹の需要増などを背景に、下降を続けた生糸価格が2年連続で前年を約2割上回った。こうした状況を生かして養蚕業を立て直そうと、県が1万トンを目標に掲げて支援事業を打ち出すなど明るい話題が増えた時期だった。

糸井さんは「繭の値段が以前からの夢だった1キロ3千円をつけたのを覚えている。養蚕組合で海外旅行をして『カイコやってりゃ旅行に行ける』って盛り上がった」と振り返る。

だが、生糸価格は再び下がり続け、生産者の高齢化や養蚕離れも深刻化した。50年前に県内に約8万戸あった養蚕農家は12年は217戸まで減った。繭生産量は98年に1千トンを割り込み、12年はわずか80トン。養蚕業が存続できるかどうかが取りざたされる状況になっている。

今】「富岡製糸場が世界遺産になって、少しでも弾みになってもらいたい」と話す糸井さん。今でも春蚕(はるご)を30万匹飼育する
今】「富岡製糸場が世界遺産になって、少しでも弾みになってもらいたい」と話す糸井さん。今でも春蚕(はるご)を30万匹飼育する

養蚕を残そうとする努力は続けられている。県は養蚕農家の収入確保に向け、遺伝子組み換え蚕(GM蚕)の医薬分野への活用や蛍光色に光ったり、抗菌性を備えた生糸の開発に力を入れる。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録の審議が来年に迫り、養蚕への国民の関心がさらに高まることも期待される。

県蚕糸園芸課の岡喜久男係長(49)は「養蚕業は次世代に引き継ぐべき群馬のアイデンティティー」と存続することの意義を強調。糸井さんも「群馬のためになればと思ってやっている。養蚕の灯を消さないよう、命ある限り蚕をやり続けたい」と力強く話す。

(報道部 西山健太郎)

【元年】1万㌧目標に再起

高齢化などに伴う農家の養蚕離れで1988年の県内の繭生産量は10年前の半分以下の8852トンに落ち込んだが、87年末からの世界的シルクブームで国内の絹需要が急増し供給が追いつかなくなっている状況を紹介。生産量1万トンを目標に廃業した養蚕農家の桑園や蚕具を別の農家が活用するシステムの構築に県が乗り出すことを報じた。
(6月11日付)

富岡製糸場(富岡市) 田島弥平旧宅(伊勢崎市) 高山社跡(藤岡市) 荒船風穴(下仁田町)