《探訪 ぐんま絹遺産》特別編 残そう繭と絹の国~世界に伝えたい~(上)西エリア 歴史や文化 今に
- 掲載日
- 2013/07/02
馬場重久の墓
蚕糸絹業で栄えた本県は、今も各地にその歴史と文化を伝える遺産が残る。県はこれまで、世界文化遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」をはじめ、県内のシルク関連の「ぐんま絹遺産」78件を登録。上毛新聞社はこれら絹遺産をテーマに「残そう繭と絹の国~世界に伝えたい~」と題して、写真、俳句、絵手紙を募集するなど、世界遺産登録応援キャンペーンを展開している。主な絹遺産を東西2回に分けて西エリア編から紹介する。東エリア編は23日付で掲載。
①富岡製糸場
世界遺産候補の中心施設の富岡製糸場(富岡市富岡)は、1872(明治5)年に政府が設立した官営の器械製糸場。民営化後も製糸を続け、115年間使用された。創業時の長さ100メートルを超える木骨れんが造りの繭倉庫や繰糸場など主要な施設は今も完全に残されている。
⑩(11)富岡製糸場工女等の墓
全国から集まった工女らの中には、慣れない集団労働で病に倒れ、富岡で亡くなった人もいた。海源寺(富岡市富岡)は1873(明治6)~76(同9)年に亡くなった工女らの3基、龍光寺(同)には、74(同7)年から民営化後の1900(同33)年までの工女の墓がある。
(12)高山社跡、(13)高山長五郎の墓、(14)高山長五郎功徳碑
高山社跡(藤岡市高山)は清温育という養蚕飼育法を確立した高山長五郎の生家で、「養蚕改良高山社」発祥の地。今も残る母屋兼蚕室は、清温育のために工夫された構造を持つ。後の時代には、高山社分教場として多くの生徒の実習に利用された。
長五郎の墓(同)は生家から南西200メートルの高台にある興禅院にあり、高山社跡と周辺の美しい景観が一望できる。諏訪神社(同市藤岡)にある功徳碑は、高山社社員や24府県1716人の寄付により、1891(明治24)年に建てられた。
高山社跡
(15)町田菊次郎頌徳(しょうとく)碑、(16)町田菊次郎生家宅
五郎の遺志を継ぎ、高山社2代目社長を務めた町田菊次郎の功績を語る頌徳碑(藤岡市藤岡)は、長五郎の功徳碑と並んで建つ。菊次郎は内国勧業博覧会で高山社の名を広め、1901(明治34)年には甲種高山社蚕業学校を開校。清温育を全国に普及させた。高山社の分教場としても活用された生家宅(同市本郷)内の柱には、当時の生徒の落書きが残されている。
(17)諏訪神社常夜燈および手水石、(18)諏訪神社宮神輿(みこし)
江戸時代の藤岡は、絹商人の生絹の買い付け拠点として、県内随一の取引量を誇っていた。当時は絹市が毎月12回開かれ、絹市で利益を得た呉服問屋の三井越後屋が常夜燈と手水石、雌雄2基の宮神輿を奉納。宮神輿は毎年7月中旬の「藤岡まつり」で渡御する。(藤岡市藤岡)
碓氷峠鉄道施設
(24)荒船風穴、(35)東谷風穴
蚕の年間飼育回数を増やし、繭の大量生産を可能にしたのが風穴だ。明治時代末に造られた荒船風穴(下仁田町南野牧)は、岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設。取引先は40道府県に及んだ。3基の風穴の貯蔵能力は国内最大規模で、現在も天然の冷風が吹き出している。同時期に貯蔵を開始した東谷風穴(中之条町赤坂)とともに国史跡に指定されている。
(36)六合赤岩養蚕農家群
国の重要伝統的建造物群に選ばれている。集落の道沿いに近代養蚕家屋が建ち並び、その周囲は宗教施設や墓地、農地に取り囲まれている。明治から1965(昭和40)年ごろまで、養蚕が盛んに行われていた。(中之条町赤岩)
(22)旧碓氷社本社事務所、(23)碓氷社万国博覧会英文表彰状
碓氷社は1878(明治11)年に県内で初めて誕生した組合製糸。和風の外観と洋式の構造を持つ事務所(安中市原市)は、1905(同38)年に建てられた。自社製生糸の品質を国際的に認めてもらうために碓氷社は、海外の万国博覧会に積極的に出品。1880(同13)年のメルボルン、93(同26)年のシカゴでの万博で受賞した表彰状が伝わっている。同市上間仁田の学習の森ふるさと学習館で見学できる。
旧上野鉄道関連施設下仁田倉庫
(21)碓氷峠鉄道施設
「めがね橋」で知られる碓氷峠の鉄道施設は、1893(明治26)年に横川―軽井沢間で開通した碓氷線の一部。当時は急勾配をアプト式の登坂機構で克服し、当時の重要な輸出品であった生糸や繭などを運搬した。れんが造りのアーチ橋やトンネル、旧丸山変電所が今も残っている。(安中市松井田町)
⑨旧上野鉄道関連施設鬼ケ沢橋梁(きょうりょう)、(25)旧上野鉄道関連施設下仁田倉庫
旧上野鉄道は 1897(明治30)年に、富岡や下仁田地域の繭や生糸、蚕種などの輸送のために建設された。長さ10メートル、幅1メートルの橋梁(富岡市南蛇井、下仁田町白山)は、国産の鉄橋としては最も古い時期のもの。1921(大正10)年と26(昭和元)年に建てられた2棟のれんが倉庫(同町下仁田)は、現在の上信電鉄下仁田駅に隣接して建てられた。倉庫の運営会社は、繭商人が農家から買い取った繭の保管や繭乾燥業、金銭貸付業も営んでいた。
③馬場重久の墓、④蚕神社の石碑
江戸時代前期の農学者であり医者の馬場重久(1663~1735年)は、若いころから蚕を細かく観察、科学的に養蚕を研究した。それをまとめた「蚕養育手鑑(てかがみ)」(1712年)は、民間の蚕書としては国内で最も古い。石碑には「正徳二年壬辰十一月三太夫重久建立」と刻まれ、重久が建てたと考えられている。「正徳二年」は「蚕養育手鑑」が完成した年で、その記念碑とされる。(吉岡町北下)
荒船風穴
【問い合わせ先】
①富岡製糸場(TEL:0274・64・0005)
⑩(11)富岡市教委文化財保護課 (TEL:0274・62・1511)
(12)(13)(16)藤岡市教委文化財保護課 (TEL:0274・23・5997)
(14)(15)(17)(18)諏訪神社 (TEL:0274・22・0414)
(24)(25)下仁田町ふるさとセンター (TEL:0274・82・5345)
(35)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」 (TEL:0279・75・1922)
(36)中之条町教委六合教育振興室 (TEL:0279・95・3013)
(21)(22)(23)安中市学習の森 (TEL:027・382・7622)
⑨富岡市教委文化財保護課 (TEL:0274・62・1511)
下仁田町ふるさとセンター (TEL:0274・82・5345)
③④吉岡町教委生涯学習室 (TEL:0279・54・3111)
※一部は非公開・見学困難のため、事前に問い合わせを。