「清温育」全国に普及 高山社の業績示す資料 工藤さん宅で見つかる 南牧に養蚕研究所
- 掲載日
- 2013/07/30
資料を探し当てた神戸さん(右)と所有していた工藤さん(中央)、贈呈を受けた市川宣夫村長
藤岡市にあった養蚕教育機関「高山社」の業績を示す貴重な資料が見つかった。市民団体「高山社を考える会」の神戸修身さん(70)=富岡市中高瀬=が、南牧村大塩沢の工藤泰宏さん(82)宅で昨年11月に探し当てた。工藤さんは整理した資料を29日に村に寄贈。高山社で考案された養蚕法「清温育」が明治期に全国標準となるまでの歴史をひもとく物証で、世界文化遺産登録の審議を来年に控え、研究の進展が期待される。
今回見つかったのは、工藤さんの祖父にあたる磐戸村大塩沢(現南牧村大塩沢)の養蚕農家、工藤丑五郎(うしごろう)(1856―1919年)が緑野郡藤岡町(現藤岡市藤岡)の甲種高山社養蚕学校で学んだ清温育を地元や全国に広めたことを示す資料約30点。丑五郎が高山社と交わした約定証や書簡のほか、「養蚕改良高山社北甘楽西部研究所」と彫られた角印もある。
1919年に記された履歴書によると、丑五郎は養蚕学校で学んだ後、南牧村に戻り、授業員として地元を巡回して清温育を普及させた。1898年には自宅に「養蚕改良高山社北甘楽西部研究所」を設け、所長として養蚕研究に励んだ。1902年以降は高山社と契約して家族やほかの授業員約50人と岩手県などに赴き、清温育を伝えた。現地の養蚕組合が、丑五郎たちの指導で天候不順にもかかわらず良質な繭が多く取れたと喜ぶ感謝状も見つかった。
藤岡市文化財保護課によると、高山社の分教場は本県を中心に関東の少なくとも120カ所に点在していたが、南牧村近辺にあったという物証は初めて。研究所は県内数カ所にあったらしいが、資料はほとんど残っていない。担当者は「全国に清温育を広めた高山社の業績を知る上で貴重な資料。調査して体系的にまとめたい」と話した。
神戸さんは高山社の帳簿を基に工藤さん宅を訪ねて資料を発見。「角印を見た時はすごいものが出たと驚いた。自分でもさらに詳しく調べ、世界遺産登録を応援したい」と興奮した様子で話した。工藤さんは「貴重な資料と知り驚いた。祖父は大酒飲みで豪快と聞いていたが、偉大な指導者と知り見直した」と感慨深げだった。
資料は補修・整理して南牧村羽沢の村民俗資料館で展示する予定。