種から絹へ・上州絹星を追う

旧官営富岡製糸場・東繭倉庫 生きる人々の気質 蚕と親しんだ記憶
金子兜太が語る「東国自由人の風土」 製糸場は“ラピュタの城”(2)

▼紅葉に包まれた富岡製糸場の西繭倉庫。 紅葉に包まれた富岡製糸場の西繭倉庫
▼事務所として使われていた3号館。 事務所として使われていた3号館

いずれも創業当初からある建物だ

水野――確かに先生は蚕とか機織りの句を折に触れて作ってきましたよね。

金子――結婚した時、おかみさんと親せきの農家に行って蚕が桑を食べるところを見せて「朝日煙る手中の蚕妻に示す」を作った。この句だけは中村草田男がほめてくれた。富岡製糸場は秩父の農家の人たちから見れば、夢の城。別格の感じだった。見に行ってきたという人がみんなに自慢話していたのを覚えている。今でいう松島を見物に行くような名所だった。おれたちが作った繭を立派な糸にしてくれる大工場ということで大変な自慢だった。五、六人で一人が自慢話すると、必ず一人くらいは見て来た人がいて、黙って聞いていて話が半ばまでいったころになって「おまえの話はここが違っている」と言ったりする。それが子供心に面白かった。

水野――先生の本にはそんなおじさんたちが出てきますよね。

金子――養蚕農家では女性たちが立って作業をしていた。腰が疲れてくると義太夫を掛け合いでやるんですよ。「三つ違いの兄さんと言うて暮らしているうちに」なんてずっとやっている。おばの家では繭の仲買人たちが義太夫を練習して発表会も開いていた。もう一つ印象に残っているのは、おならです。女性たちがのべつまくなし、お蚕さんの世話をしながら平気でやっていた。何とも言えないのどかな風景だった。

水野――「東国自由人」が変な方向に行ってしまいましたが、秩父事件も自由とかかわっていますね。

金子――秩父事件は十一月一日に三千人くらい集まって決起した事件。その決起を早めたのが、上州の小柏常次郎だった。上に立った井上伝蔵ら知識人は関東一円で一斉蜂起しなければ勝ち目はないと踏んで、待て待てといっていたのに、農民の声を受けた小柏は早くやれという立場だった。結局、小柏の意見が通ったんですね。小柏の発想は農家の人たちの声を聞いて、そのままやろうじゃないかというもの。結果は別にして群馬の人はそういう意味で自由人だった。

水野――先生にはいろいろな蚕の句がある。働く現場の句もあるし、命の象徴、文学の象徴としてとらえた蚕もある。

金子――私にとって蚕は生きものの中の生きもの。女房はいも虫が嫌いだが、私は大好き。なぜならお蚕さんと同じような形をしているので、とても親しみを感じる。

水野――座繰りをやる友達から、蚕のさなぎを食べさせてもらったことがある。先生はどうですか。

金子――さなぎは食べた。おやつというより時々、夕食に出てきた。あの味は香ばしくて格別だったね。

水野――私が小さいころ、前橋には製糸工場があっていつも繭のにおいがしていた。それも既になくなってしまった。

金子――秩父には十二月三日に秩父夜祭りがあるが、これは繭市の翌日に行われた。市で金が入った後に祭りがあって、男女の出会いがあるというように繭は生活そのものでしたね。そんな秩父から見た当時の富岡製糸場は偶像であり、宮崎アニメ(「天空の城ラピュタ」)のラピュタの城という感じだったのではないか。

水野――それほど暮らしに深くかかわってきた養蚕があっという間に姿を消したのは不思議です。

金子――農家の人も侠客肌だから金がもうかると使い方も荒い。横浜との繭取引では、景気のいいときは詰んでいった繭くらいの金を持ち帰ったといわれた。その金をみんな使ってしまう。だから歌舞伎や人形芝居、ばくち、そして俳句も盛んになる。

水野――新俳句の流れでいえば、富岡は早かったようだ。ラピュタの城だという製糸場があるからこそ、新しい文学運動が始まった。

金子――秩父と富岡あたりでは地理的条件が似ている。秩父や群馬の山すそに定着して養蚕を始めたのは、高句麗系の人たちだ。彼らは養蚕だけでなく山を掘る技術も持っていた。秩父には奈良時代に銅が出てそれを献上して和同開かいほう珎が作られた。関東には帰化人の作った文化があり、その中心が養蚕と採鉱技術だった。

水野――古代から文明、文化が生まれたわけですね。お蚕があるから群馬にはキリスト教が入るのも早かった。

金子――上州には独特の文化があって、文学者も優れた人がたくさん出ている。農村賭博がはやって侠客が多かった場所だし、萩原朔太郎も侠客肌だった。そんな考えを持っている人はいないし、あの人が侠客肌だという見方はユニークでしょう。

水野――群馬には詩人や俳人は多いですよね。

金子――養蚕、採鉱技術を中心とした文化の伝統がある。開明的な文化に長いものは育たない。上州人は侠客肌だから短編に向いていて、その分野で優秀な作家が出ている。

みずの・まゆみ/1957年、前橋市生まれ。俳句を金子兜太さんに師事。俳句空間新人賞準賞、海程新人賞など受賞。現在、「海程」同人、現代俳句協会会員、俳誌「鬣TATEGAMI」編集人。同市内で古書店「山猫館書房」を営む。同市。

(2005/11/22掲載)