絹人往来

絹人往来

■6・碓氷社 「一家団欒に重きを置き」

手ぬぐいを頭にまいたおばあさんが繭のけばを取る。電動でベルトを回すこのタイプのけば取り機はほとんど見られなくなった
手ぬぐいを頭にまいたおばあさんが繭のけばを取る。電動でベルトを回すこのタイプのけば取り機はほとんど見られなくなった

一枚の肖像画がある。細面の穏やかな表情と強い光をたたえた目が印象的だ。明治、大正期の洋画壇で活躍した安中市出身の湯浅一郎が描いた「萩原鐐太郎」。湯浅は新島襄ら著名な人物を描いているが、新島ほど有名ではない萩原を、なぜ取り上げたのだろうか。そんな疑問は県立歴史博物館で近世史を担当する松浦利隆さん(43)の言葉で解けた。「蚕糸業界にあって、群馬の近代化に貢献した第一級の人物だった」

萩原鐐太郎(一八四三―一九一六年)は東上磯部(現安中市)の豪農で、一八七八(明治十一)年に「わが国の代表的な製糸組合」といわれた碓氷社を創立した。この時期、幕末の横浜港の開港以降、生糸の輸出量が急増、それが粗製乱造につながり、輸出先の信用を落とし、糸の値段は下がった。糸を生産する農家は収入を減らし、苦境に陥っていく中で、農家を「組合員」としてまとめたのが碓氷社である。

(2000年12月5日掲載)