■8・機の音 熟練の手で織り出す
1878(明治11)年に創立した碓氷社。わが国の代表的な製糸組合として養蚕農家を守り、育てた=安中市原市
「織れなくなったら、このざまで…。仕事があれば、今だってうーんと織りてぇ」。高柳なみさん=伊勢崎市安堀町=は三年前に大病したのを嘆き、九十二歳の今でも、機が織れないのを残念がる。
高柳さんは伝統的工芸品「伊勢崎絣(かすり)」の技術を引き継ぐ伝統工芸士。八十五歳まで敷地内にある十坪ほどの仕事場で毎日、朝早くから機を織った。「機織りの聞こえる家」と言えば、近所の人はたいてい分かった。十五歳の時から本格的に織り始め、「『カラスが鳴かない日はあっても、ばあさんが機織りをしない日はない』って笑われたんさ」。昭和の初めに結婚、四人の子を育てながら、機を織り続けた。「だれよりも速く、たくさん良いものを織る」のが自慢だった。
(2001年1月25日掲載)