絹人往来

絹人往来

■7・約束の地 高崎なら成功できる

県内の鉄道網は、蚕糸業を背景に民間の力で比較的早い段階で整備された。1897(明治30)年に開通した上信電鉄(高崎―下仁田間)は有数の養蚕地帯を走る=上州富岡駅
県内の鉄道網は、蚕糸業を背景に民間の力で比較的早い段階で整備された。1897(明治30)年に開通した上信電鉄(高崎―下仁田間)は有数の養蚕地帯を走る=上州富岡駅

「もうこれ一冊だけなので」。大切そうに見せてくれた冊子は茶色く変色していた。「友禅染二代」。本間憲治さん(88)=高崎市江木町=が父豊栄と自らの「捺染(なっせん)人生」をつづったものだ。

京都で友禅職人をしていた本間豊栄は友禅染に使う絹を仕入れるため訪れた高崎で、絹市のにぎわいを目の当たりにする。「捺染業者が一軒もない。高崎で開業すれば成功できる」。そして父母らを連れ高崎へ移住した。ちょうど今から百年ほど前の話だ。

(2001年1月24日掲載)