絹人往来

絹人往来

■2・西郷の言葉 すべて書き残したい

夕日に輝く利根川。川沿いの境町島村が蚕種で栄えたのも豊かな水のお陰だった。水はけのよい河原は桑を育てるのに適していた=境町より上武大橋を望む
夕日に輝く利根川。川沿いの境町島村が蚕種で栄えたのも豊かな水のお陰だった。水はけのよい河原は桑を育てるのに適していた=境町より上武大橋を望む

一冊の古書に志が込められている。ページをめくると、河原でかいがいしくかごを洗う女たちを描いた図と解説。挿絵画家の遊び心か、その近くに乳飲み子を背負う女の子がいる。色刷り。挿絵が多く、難しい漢字には仮名がふられている。人々のしぐさや表情に見入っていると、養蚕の技術書だということを思わず忘れてしまうほどだ。

一八七二(明治五)年発刊の「養蚕新論」。著者は境町島村の田島弥平である。弥平から数えて五代目の子孫に当たる田島健一さん(71)=境町島村=は「当時とすりゃベストセラー。だから古本としての価値はあまりないんだね。今でも北海道を除いて日本中、どこの古本屋からも出てくる」と言うと、こたつに足を伸ばすように勧めた。ふすまを開けば大広間に使えるという八畳の間は、ひっそりとしている。蚕は風通しのよい広々とした場所で育てるべし、と提唱した弥平が建てた家に今でも住んでいる。

(2001年1月17日掲載)