絹人往来

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■6・前橋駅 娘たちが繁栄支える

芝居興行でにぎわった「ながめ余興場」は、織物で栄えた大間々町に1937(昭和12)年、造られた。現在は町が管理運営している
芝居興行でにぎわった「ながめ余興場」は、織物で栄えた大間々町に1937(昭和12)年、造られた。現在は町が管理運営している

写真は製糸業のかつての栄光を鮮やかに切り取っていた。丸登製糸(前橋市国領町)の故片倉孝雄元社長の妻、敏子さん(69)=前橋市下細井町=のアルバムに残されていたあの写真である。満開の桜の下に「■組」ののぼり。その周りは娘たちで埋めつくされている。一九三五(昭和十)年ごろの前橋公園。“最後の砦(とりで)”といわれた丸登製糸も操業をやめている。前橋に「糸の町」の面影はすでにない。

ここにいる娘たちは元気ならば八十歳ぐらいになるだろうか。会ってみたいと思った。彼女たちの人生に製糸業の光と影を重ね合わせることで、なにかが見えてくるに違いない。

(2001年1月23日掲載)