絹人往来

絹人往来

■4・父の思い 志の一端見えてくる

桐生に国立の高等染織学校(現群馬大学工学部)ができたのも絹織物産業の発展とかかわっている。創立当時の建物のうち講堂などが現存する=桐生市天神町
桐生に国立の高等染織学校(現群馬大学工学部)ができたのも絹織物産業の発展とかかわっている。創立当時の建物のうち講堂などが現存する=桐生市天神町

長屋門をくぐると、広い庭で高山重憲さん(54)=神奈川県平塚市=が出迎えてくれた。裏はうっそうとした竹林、その背後に小高い杉山が連なっている。大手企業の部長を務める重憲さんが、藤岡市高山の生家に戻ったのは久しぶり。父親の吉重さんを二年ほど前に亡くし、残された母親の淑子さん(77)は家を空けている。年が改まる前に先祖の墓を掃き清めようと立ち寄ったのだ。

「ここに来るとホッとするんです」とがらんとした母屋に招き入れ、本棚の中から冊子を取り出した。表紙に「日本蚕糸業史のなかの養蚕改良高山社」とある。それは長男の重晴さん(27)が大学時代に書き上げた卒業論文だった。高山社はこの家にあった日本で最初の養蚕学校。重晴さんはわが家の歴史に興味を持ち、卒論のテーマに選んだ。

(2001年1月19日掲載)