■2・速水 堅曹
晩年に撮影されたと見られる速水堅曹の写真
県立文書館に「速水堅曹履歴抜萃(ばっすい)録甲号自記」という日記が所蔵されている。
日記をひもといて一八七〇(明治三)年の足跡をたどる。「是ヨリ日々糸ノ試験ニ関係シ、ミウラー(ミューラー)ニ欧州製糸ノ実際ヲ問フ故、宅ニ帰スル克ハサル多事ナリ」(七月十七日)。「民部省ヨリノ達ニ拠リ富岡ニ行、(中略)尾高(惇忠)庶務・小佑、外人ブリュナ氏(ポール・ブリュナ)ニ面談、新建製糸場ノ利害ヲ論ス」(十月十九日)とある。備忘録のような簡潔な文章だが、日記からは器械製糸の先駆者としての情熱がにじむ。