絹先人考

絹先人考

■20・勝山宗三郎

勝山宗三郎
勝山宗三郎

〈横浜開港以来 専ラ製糸輸出ノ道ヲ講ジ 或ハ製糸ノ方法ヲ改良シ 或ハ松代六工社ノ後ヲ受ケ之ヲ釐革(りかく)シテ業ヲ士民ニ授クル等 常ニ本業ノ拡張ヲ図リ畢生(ひっせい)身ヲ公益ニ委ス 其功績著ルシ因テ之ヲ追賞ス〉

勝山宗三郎が亡くなった二年後の一八八五(明治十八)年、農商務卿の西郷従道が功績をたたえ追賞している。

海を越えて世界に出回った前橋産の生糸。ロンドンの商人や絹織物を製造したリヨンの職人から最も品質の優れた提げ糸として高い評価を受けた。ローマ字で書かれた「マエバシ」は高級品の代名詞として使われたほど。勝山はブランドを維持、確立しながら生糸(いと)の町の繁栄を支えた。