■45・飯塚春太郎
衆議院時代の1928年12月に撮影された肖像
〈一本の、不正の糸も、織り込まぬ、織物つくる、人の貴さ〉
群馬県中学校(現前橋高校)で共に学び、後に東洋大学長となった中島徳蔵(一八六四-一九四〇年)は、親友の飯塚春太郎の逝去に接し、長い追悼文を残した。その締めくくりとして、飯塚がモットーにしてきた「製品即(すなわ)ち人」をほうふつさせる感想をつづった。
インド商人との商談の最中、「傷がある」「不良品である」との申し出に、飯塚は「飯塚の織物は日本の製品である以上、絶対に不良品はない」と言うなり、その場でストーブに絹を投げ入れ、激怒したという。
信用を第一に生き抜いた飯塚の実像を生々しく伝える逸話である。