■29・森村 熊蔵
森村熊蔵
伊勢崎織物業組合は一八九一(明治二十四)年、分裂の危機を迎えていた。
〈紡績絹糸は玉糸の代用に使っても差し支えないと思う。(中略)このままでは一人でも組合を抜けて織りだすつもりだ〉(「伊勢崎織物同業組合史」)
有力な織物業者、森村熊蔵が下城弥一郎(一八五三-一九〇五年)を組合長とする組合の決定に異を唱えたのだ。
伊勢崎織物は組合が発足した一八八六年から順調に生産を伸ばしていた。翌年の八七年が二十二万反、五年後の九二年には四十六万五千反と倍増している。
好況の中で生まれた組合分裂の危機は、京都の呉服商組合から織物業組合に届いた抗議の書簡がきっかけだった。