■18・小渕 志ち
愛知県豊橋市で座繰りの技術を伝え、糸の街としての同市の発展を導いた小渕志ち(豊橋市美術博物館提供)
第一次世界大戦終結翌年の一九二〇年四月。戦争特需の反動で、日本の景気は急降下。全国の数多くの企業が、倒産に追い込まれた。
富士見村出身の小渕志ちが立ち上げた愛知県豊橋市二川町の「糸徳製糸工場」も大きな損失を受けた。当時、志ちは七十三歳。工場経営は子や孫に任せていたが、損失の話を耳にすると、笑ってこう語った。
「この工場がなあ、立ち行かんで、もし人手に渡っても仕方はないが、渡す時は、この工場は婆々つきで買ってもらうんだから、それは承知しておいてもらいたい。私は飯と汁さえあればいい。ぜいたくなことは言わんのだから。婆々つきの工場だからのう」