絹先人考

絹先人考

■4・渋沢 栄一(下)

理に順(した)がえば、則ち裕(ゆたか)なり。座右の銘を揮毫(きごう)する渋沢栄一=1929年撮影
理に順(した)がえば、則ち裕(ゆたか)なり。座右の銘を揮毫(きごう)する渋沢栄一=1929年撮影

かつて蚕種生産で名をはせた島村(伊勢崎市境島村)の豪農、田島武平(一八三三-一九一〇年)宅に、島村勧業会社設立を助言する渋沢栄一の書簡が残っている。書簡は武平から数えて四代目にあたる信孝さん(59)が受け継ぎ、大切に保管している。手紙には一八七二(明治五)年二月六日の日付がある。当時、渋沢は三十二歳。数日後には明治政府の大蔵少輔事務取扱に昇任。事実上の大蔵次官に上り詰めた。島村勧業会社は農民が組織した日本初の蚕種株式会社だ。手紙にはこう書かれている。