絹先人考

絹先人考

■10・新井領一郎

良質の生糸を米国に直輸出する道を切り開いた新井領一郎(右)と兄、星野長太郎
良質の生糸を米国に直輸出する道を切り開いた新井領一郎(右)と兄、星野長太郎

江戸幕府が諸外国と結んだ不平等条約は、成立間もない明治政府に重くのしかかった。中でも輸入超過は深刻で、最大の輸出品である生糸の直輸出は国家の命運をかけた事業だった。

星野長太郎(一八四五-一九〇八年)が水沼村(現桐生市黒保根町水沼)に設立した水沼製糸所も、生糸の直輸出に応じた。横浜からの輸出が薄利だった事情のほかに、直輸出には外貨獲得という時代の要請が横たわっていた。

高崎藩営の英学校などで学んだ星野の実弟、新井領一郎は、直輸出の“適任者”として選ばれた。兄や養父にも異論はなかった。弱冠二十歳の新井に各方面から寄せられた期待の大きさは、渡米の際の「餞別(せんべつ)覚」に残る福沢諭吉、速水堅曹、黒田清隆、楫取素彦らの名前からもうかがえる。