■42・山口太三郎
山口太三郎(「山口太三郎翁の面影」収録)
一九〇九(明治四十二)年、組合製糸「甘楽社」(富岡)が、加盟の座繰り製糸組合向けに「製糸法ノ注意」と題した小冊子(県史収録)を発行した。
そのなかで社長の山口太三郎は、組合員に対して生繭の乾燥など三点に留意した繰糸を徹底するよう指示し、こう警告した。
〈多数なる工女中には、未(いま)だ此(この)三要件を意に介せず甚だしき部外なるデニール、又は類節の多き物、 或(あるい)は粗製品を繰出する者あり〉〈糸主の損失を招き又需用者を減じ、遂(つい)には本社の不信用を来すなり〉
山口の社長就任以降、甘楽社の生糸はパリ万博(一九〇〇年)、セントルイス万博(〇四年)、リエージュ万博(〇五年)と連続して金賞牌を受けた。その一方で、冊子で指摘した粗製品などの問題も抱え、山口は品質向上に心を砕いていた。